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アート写真における写真家と作品モデルとの権力構造についての考察

セクハラの加害者はいずれも還暦をかなり過ぎた年配の写真家という共通点

1ページ目の記事を書いてしばらくしてから、著名人のセクハラを報じる次のような記事を見かけました。
「神様のような広河さんに私は服従した」。フォトジャーナリストからの性的被害、背景に支配関係

以前に「フォトジャーナリストがその場に居ることが戦争や紛争の抑止力になる」で取り上げた広河隆一氏は、人権派で知られる著名なフォトジャーナリストであるため、その人が身近な人の人権を踏みにじるような行為を繰り返していたと知り、とてもショックを受けました。

もっとも「セクハラやパワハラにおける権力構造と理想化の心理の影響」でも触れましたように、写真業界ではこうしたセクハラは珍しいことではなく、私の周囲にも被害に遭われた方が何人もいらっしゃいます。

ただ気になるのは、あくまで私が知る事例に限ればの話ですが、いずれの加害者も還暦をかなり過ぎた年配の写真家であり、これは単なる偶然とは思えません。
荒木氏と広河氏は、片やアーティスト、片やジャーナリストとまるで異なるフィールドで活動しているにも関わらず同じような行為に及んでしまうということは、この年代に特有の価値観があるように思えてならないためです。

今も昭和の価値観が色濃く残る一部の写真業界

以前から日本の写真業界に対しては、特に新宿界隈で活動する人々に対して、どこか昭和の時代の雰囲気が漂っている、もっと言えばその時代で時間が止まってしまっているような感覚を感じていました。

それは例えばゴールデン街のような街並みに魅力を感じてのことだと以前は考えていましたが、今回の共通点を見出したことで考えが変わりました。

あくまで私見ですが、恐らくその昭和の時代の雰囲気を愛する感覚には、人権に対する意識を含めた価値観までもが含まれており、それが今も一部の集団の間で維持されているのではないかと予想されます。
(昭和の時代には、男女雇用機会均等法は制定されていても、ハラスメントの概念はほとんど広まっていません)

またその要因として、今回の事例の写真家がいずれも一般にもよく知られ、それゆえ絶大な権威を有するか、あるいは指導的な立場にある人ばかりであるため、これらの写真家に対して物申す人がいないばかりか、広河氏の記事のタイトルに「神様のような」とあるように、むしろ崇拝し何でも鵜呑みにするような取り巻きに常に囲まれていることで、いつまで経っても浄化作用が働かないからではないかと考えられます。

その意味で、こうして誰かの(恐らくは決死の)リークにより時折明らかとなるセクハラをはじめとしたハラスメントの事例も、加害者本人のみならず、その行為を疑問視さえしていないかもしれない取り巻きの人々も間接的にせよ問題に加担している、少なくても助長していると考えられます。

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