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アート写真における写真家と作品モデルとの権力構造についての考察

今回は予定を変更して、アート写真における写真家と作品モデルとの権力構造について検討してみたいと思います。

また権力の不均衡が大きな影響をもたらすトラブルの身近な事例としては、セクハラやパワハラなどのハラスメントがありますが、アート業界ではこれらの要因に加えて、アートの価値がさらに問題を複雑にしていると考えられますので、その点も加味しつつ検討します。

補足)今回の記事は写真家を例に記述しますが、他のメディウムを用いるアーティストにも同様のことが言えると考えられますので、その場合は適宜読み替えていただけますでしょうか。

事例の提示と本記事の目的

まず最初に、今回の考察の参考にするネット上の記事を、少し長くなりますが、ご一読いただけますでしょうか。
その知識、本当に正しいですか?

こちらは、ご自身もアーティストでいらっしゃる女性の、アラーキーこと荒木経惟さんの作品モデルを務めていた時の経緯を綴ったものです。
今回のアート写真における写真家と作品モデルとの権力構造を考察する上で大変参考になる情報が掲載されているため、事例として活用させていただくことに致しました。

なお今回の記事は、この事例自体の検討ではなく、あくまでアート写真における写真家と作品モデルとの間の力の不均衡がもたらすトラブル一般の考察であるため、引用は必要最小限に止めることに致します。

アート写真における写真家と作品モデルとの関係は対等にはなり得ない

少なくてもアーティストである写真家が自身の作品を制作する目的で撮影が行われる、つまりアート作品としての写真撮影の場合、そこでの撮影者と作品モデルとの力関係は、どのような撮影の仕方であったとしても決して対等にはなり得ず、むしろ必ず撮影者である写真家の方が権力を握ることになります。

なぜならアート写真とはあるコンセプトに基づき制作され、そのコンセプトはアーティストである写真家により考え出されたものであるためです。
そしてこのためその撮影空間においては、撮影される写真がコンセプトを適切に表すように写真家がその場をコントロールし、作品モデルはそのコントロールを受け入れることになるためです。

こうして互いにコンセプトを共有し、その具現化のために協力する関係が出来上がりますが、協力と言ってもコンセプトの発案者は写真家ですし、また作品のクオリティを決定する権限も写真家にあるため、それは対等な関係などではありません。
その実態は協力させるというようなものです。

撮影に関する事柄の最終決定権を写真家が握っている限り、力の不均衡が是正されることはない

例外的にその場で作品モデルがアイディアを出してくれることもありますが、その場合でもそのアイディアを採用するか否かは作品の制作者である写真家に委ねられています。
このように撮影に関する事柄の最終決定権を写真家が握っている限り、力の不均衡が是正されることはありません。

またこれも例外的なケースとして、写真家があえてコンセプトを事前に打ち立てず、その場で生じることに任せて撮影に臨むことも起こり得ます。
しかしこの場合でも「その場のプロセスに任せる」こと自体がコンセプトとして機能するため、例えば作品モデルから具体的な指示を要求されても却下される確率が高いでしょう。
つまりその場合でも、作品モデルは「指示を受けることなく、その場の偶然生じるプロセスに身を任せる」ことを強制されているのです。

以上のように写真家が自身の作品制作のためにモデルを撮影しようとすれば、コンセプトの存在により、どのような形であっても写真家が作品制作者として絶大な権力を握ることは避けられないため、ハラスメントを未然に防ぐ意味でも、そのことを私たち写真家は本来肝に銘じるべきなのです。

次のページでは、その後アート写真以外の分野でも著名な写真家による同じようなセクハラの事例が明るみになったため、あくまで推測ですが日本の写真業界に巣食うセクハラの構造的な問題に関する私見を述べます。

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