• 2018年4月7日
  • 2018年4月8日

私説:アウラと関連づけられるのは芸術作品の礼拝価値ではなく展示価値の方であり、複製技術の進展とも相関性の低い概念

これまで旧ブログに、ヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』について批判的な記事をいくつか書いてきましたが*、ベンヤミンの理論にはもう一つ腑に落ちないことがあります。 それはアウラと芸術作品の礼拝価値とを結びつける彼の考え方についてです。 *関連ブログ: ベンヤミン『複 […]

  • 2018年4月3日
  • 2018年4月3日

私説:作品の鑑賞態度は個人単位でも一律ではなく、様々な要因の影響を受けて変化している

今回は一昨日の投稿「ART TRACE GALLERY「足下から空を蹴る」感想」を書いた後に気づいたことを投稿します。 少し前に自分の鑑賞態度が「作品コンセプト最重視」へと変化したことに気づく 以前に「私説:作品の制作スタンスは「関心」を通じて鑑賞の仕方にも反映される」で、私の制 […]

  • 2018年4月1日
  • 2018年4月2日

ART TRACE GALLERY「足下から空を蹴る」感想

今日、所属のART TRACE GALLERYの当番で、メンバーの百瀬陽子さんの企画したグループ展「足下から空を蹴る」を拝見しました。         衛藤さん以外の方の作品からは、どこかシャーマニズムやアニミズム的な雰囲気が感じられたため […]

  • 2018年3月29日
  • 2019年6月30日

作品という隠れ蓑から作家が飛び出し素の自分を曝け出したような作品を構想

私たちはそれが作品だと認識することで安心して無遠慮に鑑賞できている 観客の側から考えると、登場人物という一種の「隠れ蓑」があることによって、俳優を無遠慮に凝視できる部分がないだろうか。(中略)このとき俳優が素のままでそこにいれば、遠慮や気まずさが生じ、その体をジロジロとは見にくく […]

  • 2018年3月29日
  • 2020年7月7日

理想的自然の模倣(ミーメーシス)を通じて中世までの古代ギリシヤ・ローマ美術礼賛の理由が腑に落ちる

中世ヨーロッパの人々の、古代ギリシヤ・ローマ美術礼賛の態度 ムサビや京都造形で西洋美術史を学び始めてから知ったことの1つに、中世ヨーロッパの時代までの、過去に絶対的な価値を置き、古代ギリシヤやローマ時代の美術を礼賛する態度があります。 確かに現代人の私にも、当時の大理石の造形物な […]

  • 2018年3月27日
  • 2018年3月29日

ノイバウテンの『Kollaps』を素材とした作品の失敗の原因が判明

今回の記事は「ノイバウテンの『Kollaps』を素材とした作品の試作は残念ながら失敗…」の続報です。 その後ギャラリーにて、シャッタースピードを変えるなどして撮影し直した最初のカットがこちらです。 コンセプトは、ノイバウテンの激しいノイズミュージックの有様を動きで表現するというも […]

  • 2018年3月26日
  • 2018年3月29日

今年もKYOTOGRAPHIE KG+ Special exhibitionに参加します

昨年に引き続き、今年もEINSTEIN STUDIOの企画を通じて、京都の写真祭「KYOTOGRAPHIE」のKG+ Special exhibitionに参加致します。 会場も昨年と同じHOTEL ANTEROOM KYOTOとなります。 なお今年は壁面に大型作品が展示される企 […]

  • 2018年3月25日
  • 2018年3月29日

Photo diary on March 25, 2018

引っ越し先が神田川のそばなので、ベランダから桜の木が見えます。 I saw a cherry tree from the veranda.

  • 2018年3月23日
  • 2018年3月29日

3331 ART FAIR〜ゆるい感じを想像していたので、参加しなかったことに後悔…

先日、所属のアートトレイスギャラリーが初めて参加した3331 ART FAIRがアーツ千代田で開催されました。 会場が体育館なので、ゆるい感じを想像して参加を断念 アートフェアはEINSTEIN STUDIOの企画を通じて昨年から継続的に参加しており、アートトレイスギャラリーや貸 […]