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Diversity vol.2~ミホリトモヒサのインスタレーション作品の感想

Diversity vol.2」参加作家の作品の感想、溶解マールイさんのパフォーマンス作品の次は、ミホリトモヒサさんのインスタレーション作品です。

長閑な風景を眺めながら「1/fゆらぎ」のような心地良さを体感

Diversity vol.2「ミホリトモヒサ 個展」展示風景1

ご覧のようにミホリさんの作品は、ギャラリー空間いっぱいに水糸が張られた作品です。
写真ですと解りづらいですが、水糸がゆっくりと移動していて、またその動きに伴い水糸全体も波のように揺れています。

Diversity vol.2「ミホリトモヒサ 個展」展示風景2

Diversity vol.2「ミホリトモヒサ 個展」展示風景3

こちらが水糸を動かしている装置です。

Diversity vol.2「ミホリトモヒサ 個展」展示風景4

シンプルな構造のため、鑑賞者による多様な解釈が可能な作品ですが、個人的には水糸が波打つ感じを眺めていると、人工物であるにも関わらず長閑な風景を眺めているような感覚に陥り、そのためか1/fゆらぎのような心地良さを体感しているようでした。

近代以降の「自己表現」の前提を覆す試み

また今回は会期を通じてミホリさんが終日在廊されていたため、当番の際に詳しくお話を伺うことができました。

そのミホリさんの話の中で特に印象に残っているのが「自分が作ったのは端っこだけで、残りの部分はすべて水糸やその他のものが作り出しているもの」旨の話でした。

この話を聞いて、放送大学教授の青山昌文さんの言葉を借りれば「世界の表現から自己の表現へとシフトした近代以降の芸術作品」の常識を覆すような試みに思えました。

なぜなら私の理解では、自己表現たる芸術活動では、作品の作り手である芸術家がそのプロセスに主体的に関わることで自己の何がしかが作品を通じて顕現されると考えられ、したがってミホリさんのように自分の関与を限定するような制作手法は、この近代以降の芸術作品の前提である自己表現を部分的にでも放棄しているように思えるためです。

自己表現を放棄するという自己の表現

もっともこの自己表現の放棄というニュアンスは正確ではないかもしれません。
なぜならその行為を意図的に行うのであれば、その意図にこそ作家の信念が如実に表れていると考えられるためです。

したがって恐らくミホリさんは、出来上がった作品そのものよりも、それを生み出すプロセスの方により関心がある方なのではないかと想定しています。
そしてこの点は私も同様であるため、彼の作品や考え方はとても参考になります。

参考文献

青山昌文著『美学・芸術学研究 (放送大学大学院教材)』、放送大学教育振興会、2013年

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