写真家 田尻健二のウェブサイト(Ver.3)。撮影した写真・展示情報・写真をはじめとしたアート情報などを掲載。今後の展示予定:2019年10月2日~10月9日 ART TRACE GALLERY「作家と本棚」

カロリナ・ドゥラン《バナナ共和国》@「TERRESTRES:ラテンアメリカ・コンテンポラリーアートへの接点」の感想

Takaaki Kumagai氏キュレーション「TERRESTRES:ラテンアメリカ・コンテンポラリーアートへの接点」の感想記事その8。
カミロ・クエルボ氏に続いて紹介するのは、カロリナ・ドゥラン氏のミクストメディア作品です。

カロリナ・ドゥランのミクストメディア作品《バナナ共和国》の概要

こちらがドゥラン氏のミクストメディア作品《バナナ共和国》(Calolina Duran “Republica bananera”)です(クリックで拡大)。

カロリナ・ドゥランのミクストメディア作品《バナナ共和国》(Calolina Duran “Republica bananera”)

布地にスパンコールなどの素材で刺繍が施された作品で、最初に作品カタログに目を通す前に拝見した際、一番気に入った作品でした。
適度な可愛さが感じられたためです。

コロンビアのプランテーション経済の象徴としてのバナナ

展示カタログに掲載されたキュレーターのKumagai氏の批評によれば、日本でよく見かけるバナナはフォリピンか台湾産のため意外でしたが、コロンビアのバナナは世界シェア30%を誇る特産品とのことです。

しかしその背景には、プランテーション作物として栽培されて来た歴史がもたらす労働搾取や、農薬の大量散布による環境破壊や健康被害、そして作品タイトルに暗に示されているプランテーションに依存した不安的な経済など、数々の問題が横たわっているようです。

また同カタログによれば、1928年には待遇の改善を求めてストライキを起こした栽培者らに対して軍が無差別に発砲し、1800人もの犠牲者を出した痛ましい事件も発生したそうです。

輸出先の国々を連想させる皮が剥かれた状態のバナナ

こうしたバナナにまつわるコロンビアの歴史的・社会的背景を理解した後に改めて作品を拝見すると、当初は可愛らしく見えたバナナがまったく違った見え方をして来ます。
特に注意を引かれたのはバナナの形状です。

バナナから連想される一般的な形状は、皮が剥かれていない状態のものが1本もしくは房になったものと思われますが、《バナナ共和国》のバナナは皮が剥かれた状態になっています。
この形状を前述のバナナにまつわるコロンビアの歴史的・社会的背景に重ね合わせると、この状態は食べる時、つまり消費地である輸出先の国々の人々が目にする光景ということになります。

経済的支配を暗示する他国の光景をアイコンに用いた作品

このことになぜ注意を引かれたかといえば、作品タイトルの《バナナ共和国》とバナナがシンボリックに用いられた作品からは、エンブレム(紋章)や国旗が連想されるためです。

通常こうしたアイテムには国民や国家のアイデンティティが象徴的に示されるのが通例でしょうが、前述のようにそこに示されているのは他国の人々が目にする光景なのです。
それはまるで自国のアイデンティティが他国によって規定されているかのようであることから、かつての宗主国スペインとの関係を想起せずにおけません。

現在そのような政治的関係は解消しましたが、かつてのプランテーション政策の影響が今も主要産業として機能することで残り続け、様々な歪みを生み出しているようです。

しかしその歪みを自国の内政的努力だけでは簡単には解消できないことを、《バナナ共和国》は他国の光景をアイコンとして用いることで暗示しているように思えました。

また最後に現代の思想界では、ポストコロニアルなどの視点からハイブリッド化により旧植民地の国々ならではの新たな価値観が生まれることを積極的に評価する動きも見られるようですが、今回の感想記事を書きながら、現実はそう甘くはないのではないかとの印象も抱きました。

参考文献

「TERRESTRES:ラテンアメリカ・コンテンポラリーアートへの接点」展示カタログ
アーニャ・ルーンバ著『ポストコロニアル理論入門』、松柏社、2001年




写真家 田尻健二
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