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Diversity vol.2~ミホリトモヒサのインスタレーション作品の感想

1ページ目で展示作家のミホリトモヒサさんの「自分が作ったのは端っこだけで、残りの部分はすべて水糸やその他のものが作り出しているもの」旨の話を引用しましたが、(細かいことかもしれませんが)この話はもしかしたら制作の最初から意図されていたものとは限らず、制作の途中から感じられるようになった可能性もあるように思えて来ました。

Diversity vol.2「ミホリトモヒサ 個展」展示風景4

その理由は作品のこちらの部分を眺めていた時に、まるで水糸が生き物のように自らの意志で動いているように思えて来たためです。

実際、作品制作においては、頭の中で思い浮かべたプラン通りに作品が完成することは滅多になく、むしろ想定外のトラブルや、その逆に思わぬ効果が生まれたり、あるいは魅力に気づいたりといったことが起こり得ます。

このような試行錯誤のプロセスは「作品との対話」などとも称されますが、制作中は主体たる作家が客体としての作品を操作することに加え、主体であるはずの作家が客体である作品から影響を受けることも頻繁に生じ得ます。

そしてこうした作家と作品との相互作用が制作プロセスに不可分であることを考えると、冒頭で述べたような可能性は否定できず、またそうであっても全然構わないと私は思うのです。

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