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非自己表現的な展示(グループ展)の構想

記事の1ページ目では、非自己表現的な展示(グループ展)の構想を提示致しました。
このページでは、その構想に対して懸念される事柄を検討していきます。

自己の表現やオリジナリティを追求する作家には魅力が感じられない構想

アート作品には唯一の正解もしくは評価基準が存在するわけではありません。しかしそれでも業界内の大多数の人々の間で共有されていると想定される事柄として、次の2つを挙げることができます。

作品とは(自己)表現でなければならない

アート作品に対する常識的な見解の1つ目は、作品とは(自己)表現でなければならないという価値観です。
なおここで自己を括弧書きにしたのは、単に表現と略されることが非常に多いためです。

ちなみに放送大学の青山昌文教授の見解によれば、自己表現の概念が生まれたのは19世紀になってからであり、それ以前は表現と言えば世界の表現を意味していた、つまり表現には2種類あるわけですが、現代に生きる作家の間で追求されているのは、専ら自己表現の方のようです。

関連ページ:青山昌文著『美学・芸術学研究 (放送大学大学院教材)』~自己表現の概念の理解に役立った本

また美大におけるトレーニングの過程でも「(自己)表現になっていない」「(自己)表現として成立していない」などの指摘がしばしば聞かれます。

作品にはオリジナル性も求められる

また優れたアート作品の要件としては、オリジナリティもよく聞く話です。
ですので造形なりコンセプトなりに独自性が見られなければ、なかなか優れた作品とは見なされづらいように思えます。

ところが1ページ目で提示した非自己表現的なグループ展の構想では、このいずれも求められていないどころか、むしろできるだけ封印することを要求されます。
具体的には自身のこだわりを極力捨て去り、リサーチにより想定される本質的な事柄がそのまま顕現されるように手足となって動く、つまり作家であるよりも職人であることを求められます。

このため典型的な価値観を有する作家にとって、今回の構想はほとんど魅力を感じないものであることが予想されます。
ではどのような人なら興味を示してくれそうなのか、3ページ目ではその点について考察する予定です。

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