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写真・アートを考える

  • 2019年2月5日
  • 2019年2月11日

アーティストが最も理論を求めているという興味深い現象と、その要因に関する私説

アーティストが最も理論を求めているという現状 先日紹介した小崎哲哉著『現代アートとは何か』を今も読み進めていますが、同書にとても興味深い現象を紹介している箇所がありました。 それはアーティストが最も理論を求めているという現象です。 確かに私の周囲の、特に20~30代の現代アートを […]

  • 2018年12月6日
  • 2018年12月6日

「カタストロフと美術のちから」展におけるオノ氏の作品への書き込み内容の制限は適切な処置

今回は森美術館で開催中の「カタストロフと美術のちから」展に関する記事です。 「カタストロフと美術のちから」展のオノ氏の作品において、来場者の書き込み内容に制限が加えられる 1ヶ月以上前の話ですが、ある芸術セミナーで「カタストロフと美術のちから」展を鑑賞した上で、現代におけるカタス […]

  • 2018年11月22日
  • 2019年1月4日

「西洋的芸術概念とその解体 ——— 現代アート世界の観察報告」講義メモ

西洋的芸術概念とその解体 ——— 現代アート世界の観察報告。先月開催されたヴォルフガング・ウルリッヒ氏の連続講演で、講演内容は次の通りです。 特別講演|西洋的芸術概念とその解体 ——— 現代アート世界の観察報告 レクチャー1|流行か、政治的アクティヴィズムか —— 現代アーティス […]

  • 2018年10月27日
  • 2018年10月28日

舞台芸術に宿る「人は主役であり背景などではない」というフォーマリズム的な暗黙の前提

今日、池袋の東京芸術劇場で、ディレクター・ラウンジ「ディレクター/ディレクションのこれから」の、ハラサオリ氏の回を受講して来ました。 アフォーダンスをテーマとした一連の作品の創作活動はとても興味深いもので、私も取り入れたいと思うようなアイディアが幾つもありましたが、今回はその話と […]

  • 2018年10月20日
  • 2018年10月20日

カタストロフの表象不可能性と想像可能性についての一考察

明後日に参加する、芸術史ラボ「第4回:社会変革と映像ー20世紀映像表現史」の事前課題をこちらにも掲載致します。 レポート本文 森美術館で開催中の「カタストロフと美術のちから」展の内容を援用しつつ、現代におけるカタストロフの表象不可能性|想像可能性について考える。 ここでの表象の対 […]

  • 2018年10月18日
  • 2018年10月22日

ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』における〈いまーここ〉的性質が意味すること

今、来週出席する「芸術史ラボ – アーティストとともに編み直す社会と芸術の歴史」の課題図書に指定されたベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』を再読しています。 (森美術館で開催中の「カタストロフと美術のちから展」の鑑賞も事前課題のため、金曜日に観に行く予定です) 最初はオリジナル […]

  • 2018年9月12日
  • 2018年9月13日

私説:アートとデザイン、エンターテイメントとでは、意味内容の伝達の重要度に大きな違いがある

以前に「映像作品への個人的な印象〜@イメージフォーラムフェスティバル2018」の2ページ目で、いわゆるアート性の強い映像作品や写真作品と、エンターテイメント性の強いドラマや映画とを比較し、両者には情報の受け手の解釈のバラツキに大きな違いがあることを考察しました。 今回はその内容を […]

  • 2018年9月5日
  • 2018年9月5日

私説:高校の舞台芸術の画一性に懸念〜全日本高校・大学ダンスフェスティバルの高校の「創作コンクール部門」の放送からの推測

今日の夕方6時55分から、NHKEテレで第64回全国高等学校演劇大会の様子が紹介されますが、少し前に同じ舞台芸術であるダンスのコンテストの様子が同じ局で放送されていました。 内容は第31回全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)の、高校の「創作コンクール部門」の参加校のダンス […]

  • 2018年6月14日

私説:アートは世界共通言語などではない。言語の壁は予想以上に厚い

今回の記事は「いたみありさ著『学校では教えてくれないアーティストのなり方』〜海外で活動するためのノウハウを分かりやすく紹介」「私説:アーティストバイオグラフィーはセルフブランディングに欠かせないアーティストとしてのアイデンティティの表明」の補足的な内容です。 2つの記事で取り上げ […]

  • 2018年6月12日
  • 2018年6月18日

私説:アートの枠組みだけで物事を判断していると、既存のものをアートと定義し直しただけの作品が出来上がってしまいかねない

今回の記事はアートの定義に関する考察ですが、ただしそれはアーサー・C・ダントーらの批評家が考えるアートの定義よりも、もっと現場レベル、つまりしばしば彼らの定義に先立ちアートの定義の拡張を試みるアーティストから見たアートのイメージに近いものを対象としています。 なお記事の構成として […]