写真家 田尻健二のウェブサイト(Ver.3)。撮影した写真・展示情報・写真をはじめとしたアート情報などを掲載。今後の展示予定:2018年11月30日〜12月2日 天王洲キャナルイースト「PHOTO CAMP」

ART TRACE GALLERY「闘争か逃走 Fight / Flight」感想

続いてコヤマイッセーさんの作品の感想です。

ART TRACE GALLERY「闘争か逃走 Fight / Flight」コヤマイッセーさんの作品

左の作品が旧作で、右の2つは新作だそうです。
今回は左右の大きな作品を対比する形で感想を述べていきます。

「分化」のプロセス

アーティストトークを聞きながら感じたことは、どちらの作品も様々なモチーフが描かれていますが、右の作品「絶望から生まれる希望は角笛により召喚される-このままからそのままへと」ではそのモチーフが明確なのに対して、左の作品「20110311」ではそれが不明瞭な点です。
この両者の違いから分化という概念を思い浮かべました。

ちなみにここでの分化とは発達心理学の概念で、感覚がバラエティに富んだものになっていくことを指します。
例えば不快な感覚が、悲しみや怒りに、さらにその悲しみが喪失感や寂しさにといったように、徐々にその違いを感じ取れるようになっていく発達のプロセスです。

もちろんこれは発達のプロセスですから、分化は好ましいこととされています。
しかしアートの世界では、右の作品の方が優れているとは直ちには言えず、むしろ左の作品の方に魅力感じる方もいらっしゃると思います。
(作者のイッセーさんも、左の作品をとても気に入っていらっしゃるそうです)

無意識の衝動的なエネルギーの力強さ

例えば同じ心の発達の概念をユング派の心理学者のエーリッヒ・ノイマンは、無意識の海の中から意識が立ち現れてくる様として描写しています。
確かに人間には、意図的というよりも、何かに突き動かされるかのように衝動的に行動してしまうことがあります。

このような衝動性は、前のページの三ツ井さんの感想の中でも紹介しましたように、フロイトにとってはコントロールすべき悪しき存在でしかなかったのですが、ユング心理学ではこのような衝動にも、無条件ではないにせよ価値を認めています。

実際、先日のアーティストトークでは、左の作品を無心になって描くことが当時は心の支えになった旨の話がありました。

加えて衝動的に描かれた作品には、当然意識的には成し得ない要素が加わることになります。
その典型が衝動的なエネルギーそれ自体のコントロールされていないが故の力強さです。
左の作品からはそうした点の魅力が感じられます。

状況が大きく変化しても変わらない「核」のようなものを象徴

また2つの作品には相違点だけでなく共通点もあります。
それはこの写真では分かりづらいかもしれませんが、左の作品の右端と左下、右の作品の中央付近に描かれている、赤い衣装を身にまとった戦隊モノのヒーローのような人物です。

この人物、当初は右の作品には存在しなかったのですが、搬入間際にどうしても描きたくなり加えたものなのだそうです。

2つの作品が描かれた時期には7年の違いがあり、その間イッセーさんの状況は大きく変化したそうですが、それでも変わらない「核」のようなものを、このヒーローは象徴しているように思えました。

かまどの側の男性の存在が気になる…

最後に右の作品は(恐らくユングの)錬金術の世界を描いたものだそうですが、そうなると気になる人物がいます。
ヒーローの前に座り、頬杖をつくようなポーズをとりながら、かまどの火に液体のようなものを吹き付けている男性です。

ユングが研究した錬金術の思想では、中央のかまどの燃え盛る火は心の変容のプロセスを引き起こす容器であり、したがってその火に液体を吹き付ければ、そのプロセスを阻害してしまいかねません。
しかしその液体も、よくよく見れば空也上人像の口から出る阿弥陀仏六体の如く、何かの図形のような形にも見えます。

ですからこの男性は聖なる液体を吹き付けるプロセスの促進者なのか、それともそれを邪魔する悪魔のような存在なのか、質問し忘れたので機会があれば尋ねてみようと思っています。

右の錬金術の世界を描いた作品は見応えがありますので是非ご覧ください。

参考文献

カール・グスタフ・ユング著『転移の心理学【新装版】』、みすず書房、2016年
エーリッヒ・ノイマン著『意識の起源史』、紀伊國屋書店、2016年

次のページでは木村宙さんの作品の感想を書きます。

展示は5月20日(日)までで、木曜日は休廊です。
ART TRACE GALLERY「闘争か逃走 Fight / Flight」展示案内




写真家 田尻健二
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