小崎哲哉著『現代アートとは何か』

排除アートという名称から窺える世間一般におけるアートのイメージと、アート業界におけるそれとの乖離

1ページ目では京都造形芸術大学の課題レポートとして、排除アートという名称を手掛かりに、世間一般におけるアートのイメージと、アート業界におけるそれとの乖離について論じました。
当レポートはお陰様で概ね高評価をいただきました。

このページでは字数制限のため書ききれなかったことを補足致します。
具体的にはアートのみならず、それを制作するアーティストのイメージも、アート業界と世間一般とでは大きく異なる点について触れます。

排除アートはアート業界ではアートとは認められていない

この排除アートなる名称、世間一般での広まりとは裏腹に、アート業界ではアートとは認められていないようで、記事投稿後もアートとみなすことに対する否定的な見解が相次ぎました。
このページでは、その理由を私なりに探ってみたいと思います。

精神の働き抜きに、アートについて語ることはできない

造形芸術に限らず芸術ならびにデザインの目的は、(何らかに意味で)人々の心を豊かにすることにあるのではないかと私は考えています。

加えて自己表現として制作された作品が、仮に誰からも評価されなかったとしても、その行為によって制作者本人の自尊感情が満たされる効果が期待できるというように、制作者本人の心にもプラスに作用すると言えます。
だからこそアーティストは作品制作に突き動かされるのでしょう。

またアーティストの中には、社会活動家に近いような活動をアートを通して実践しているような人もいます。
このような人は、用いるメディアがアートであるためアーティストとみなされていますが、その精神内界はむしろ社会活動家に近いのではないかと考えられます。

以上のように成果物は造形物やパフォーマンスその他の行為であったとしても、その背後には実に多種多様な精神の働きが存在し、それ抜きにアートを語ることはできません。
特に近年は、特に現代アートの分野においては後者が非常に重視されて来ている点を、1ページ目のレポートでは取り上げました。

スキルや発想力、センスばかりが先行しがちな世間一般のアーティスト像

ところが世間一般のアーティストのイメージには、例えば絵の上手い人、写真の上手い人というような職人的なスキルや、独創的と評されるような発想の豊かさ、あるいはセンスばかりが先行し、前述のような精神の働きはほとんど考慮されていない印象を受けます。

以上のようにアーティストの精神内界、特に思考の部分がほとんど考慮されていないことも、1ページ目で触れた知的な作品が敬遠される一因ではないかと考えられます。

今でも世間一般のアーティスト像には、天性の才能やセンスを基に自由奔放に作品を生み出すイメージが付きまとっているようです。
しかしそのように感情や衝動の赴くままに作品を制作するタイプのアーティストは、今は非常に少なくなっているように思えます。

今日のアーティストはむしろ平均以上に思考力を用い、様々に考えを巡らせている印象を受けます。そうでなければ自発的に難しい哲学書などを読んだりはしないと思います。

小崎哲哉著『現代アートとは何か』
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