森美術館「カタストロフと美術のちから」展の感想。4ページ目は、セクション2「破壊からの創造」の展示作品の感想その2です。
エヴァ&フランコ・マッテスの映像作品《プランC》
こちらはイタリア生まれで現在はNYで活動するアーティスト・デュオ、エヴァ&フランコ・マッテスの映像作品《プランC》(2010年)の1場面です(クリックで拡大)。
この遊具は、実はチェルノブイリの原発事故で無人となった街に彼らが立ち入り、そこにあった遊具を分解して運び出し、別の場所で組み立て直したものです。
またこの場面では見えませんが、防護服に身を包んだ係員が少し離れた位置から見守っています。
もし今でも放射線が放出されていれば大問題でしょうから、その心配がないことを確認済みなのでしょうが、それが分かっていてもなお、楽しそうに遊具で遊ぶ人々の様子からは、何も知らない人々に差し迫る放射線の恐怖を感じずに置けません。
エヴァ&フランコ・マッテスには、目に見えない放射線の恐怖を感じさせる意図があったのでは
《プランC》が興味深いのは、同じく目に見えない放射線の恐怖を感じた武田慎平の作品《痕》とは異なり、セクション2「破壊からの創造」に展示されていることです。
確かに作品制作のプロセスだけを見れば、打ち捨てられた遊具をまた使えるようにしたのですから、創造的なプロセスと言えなくもありません。
しかしこの意味合いを伝えるのなら、本来不要なはずの防護服を着せた人間を配置する必要はなかったはずです。
したがって、それをあえて行ったということは、エヴァ&フランコ・マッテスには、放射能汚染に肯定的な意味合いなど存在しない旨のメッセージを強く込めたかったのではないかと考えられます。
アート史の参照をしっかりと行っている現代アート作品
また展示カタログによれば、作品の冒頭の遊具を集めるシーンは、原発事故を予見していたかのようなタルコフスキーの監督作品『ストーカー』(1979年)から着想を得ている、つまり過去の芸術作品からの引用との指摘がなされています。
このような(広い意味での)アート史の参照は、先日紹介した小崎哲哉著『現代アートとは何か』によれば、1980年代までの西洋社会では、作品が現代アートと見なされるための必須条件だったそうです。
参考資料
森美術館編集『カタストロフと美術のちから』、平凡社、2018年
小崎哲哉著『現代アートとは何か』、河出書房新社、2018年