写真家 田尻健二のウェブサイト(Ver.3)。撮影した写真・展示情報・写真をはじめとしたアート情報などを掲載。今後の展示予定:2019年5月10日~6月4日 ART TRACE GALLERY「Diversity vol.2」

森美術館「カタストロフと美術のちから」展の感想

以前に「カタストロフと美術のちから」展におけるオノ氏の作品への書き込み内容の制限は適切な処置という記事を書きました。
しかしここではオノ・ヨーコ氏の作品についてしか触れていないため、今回はその他の作品について書きます。

カタストロフの記録、再現を志向する写真作品と、想像力を掻き立てる絵画作品

1ページ目は、セクション1「美術は惨事をどのように描くのかー記録、再現、想像」の感想その1として、主に写真作品について言及します。

セクション1では、写真作品には惨事(カタストロフ)の記録、再現を志向するものが多かったのに対して、絵画作品には想像力を掻き立てるものが多いとの印象を受けました。

ただしこれは絵画というメディウムでは自由な創作が可能であるのに対して、写真にはグラフィックソフトなどで大幅な変更を加えるのでなければその点に関して大きな制限があり、むしろ写実性に優れたメディウムであることを考えれば、当然の結果かもしれません。
つまりメディウムの特性を生かせば、必然的にこのような傾向が生まれるということです。

アート写真のカタストロフの衝撃を伝える力は、報道写真には到底敵わない

続いてセクション1の写真作品全体から受けた印象に話を移します。

まず写真作品の多くには、前述のようにカタストロフの記録、再現を志向するものが多かったのですが、そのほとんどは私の心に強く響くものではありませんでした。
なぜなら、例えば東日本大震災の傷跡を記録した写真を見ても、既に同様の惨状を写した報道写真や映像などに数多く触れてしまっているため、ある種の免疫ができてしまっているためです。
(それゆえ風化させないための工夫が必要となります)

知性化された写真作品はカタストロフを撮影しても心に響かない

カタストロフを記録した写真作品が心に響かなかったもう1つの要因は、恐らく作品を制作するアーティストの姿勢にもあると考えられます。

今回拝見したカタストロフを撮影した写真作品は、総じてプリントも美しく、また非常に静かな世界の感覚が伝わってきます。
それに対して、これまで目にしてきた報道写真には惨状(の衝撃)をストレートに伝えるものが多いように思えました。

この違いは撮影目的が異なるのだから当然なのかもしれませんが、その目的の差がまさに写真から伝わってくる衝撃度の差を生んでいるように思えます。

近年のアート作品を志向する写真(以下、アート写真)の大多数は、コンセプトに基づき撮影・制作されていると考えられますが、このようなプロセスにおいて優勢な心理的機能は思考です。
しかし思考を働かせれば働かせるほど、感情や感覚、直感などのその他の機能はどんどん脇に追いやられていくことになります。

こうしていわば知性化された写真作品では、思考によるコントロールの結果、感情や感覚に訴えかける要素が取り除かれていく傾向が強くなります。
その結果としての、とても静かな世界なのでしょう。

もっとも、その静かな世界こそが死の世界の恐怖を表象しているのだと解釈することも可能でしょう。
しかし作品を見てそのように解釈してくれるのは恐らくアート・ワールドの住人、つまり仲間内の人々だけではないかと考えられます。
なぜなら普段アートにあまり馴染みのない人々の間に、そのような解釈およびその解釈から生じる感覚が共有されているとは思えないためです。

こうした要因が、セクション1の写真作品の多くに物足りなさを感じてしまった理由ではないかと考えられます。

補足)余談ですが、このように鑑賞者の知識を当然のように期待する態度を、精神分析では甘えと定義しています。
ですがその甘えがアート・ワールドの枠内では通じてしまうため、それが当然であるかのように錯覚してしまうのです。
参考文献: 土居健郎著『「甘え」の構造』、弘文堂; 増補普及版、2007年

またこのアート・ワールドにおける甘えは、2017年の個展「こだわりの果て…」で意図的な表象を試みました。

放射線の目に見えない恐怖を感じた武田慎平の作品《痕》

それでも2点ほど印象に残った作品がありました。
1つは芸術史ラボの事前課題として作成した「カタストロフの表象不可能性と想像可能性についての一考察」でも取り上げた藤井光氏の作品《第一の事実》です。
考古学的手法には大きな限界があることは、私には驚きでした。


もう1つは次に述べる武田慎平氏の作品《痕》です。

武田慎平の作品《痕》

この画像では分かりづらいかもしれませんが、放射線により感光したものです。
この作品とその説明を見て「もしかしたら、今でもこのプリントから放射線が出ているのではないか」と想像し、少し怖くなりました。
つまり放射線の目に見えない恐怖を味わったのです。

展示は明日1月20日(日)までです。
今回は辛口の感想になってしまいましたが、特にセクション2には見応えのある作品が複数ありましたので、お時間がありましたが是非ご覧ください。

森美術館「カタストロフと美術のちから」展 公式ページ

2ページ目では、セクション1の絵画作品を取り上げます。




写真家 田尻健二
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