以前に「映像作品への個人的な印象〜@イメージフォーラムフェスティバル2018」の2ページ目で、いわゆるアート性の強い映像作品や写真作品と、エンターテイメント性の強いドラマや映画とを比較し、両者には情報の受け手の解釈のバラツキに大きな違いがあることを考察しました。
今回はその内容を受けて、この情報の受け手の解釈のバラツキの違いが、それぞれのジャンルおよびデザインにおいてどのように活用されているのかを見ていきます。
エンターテイメントやデザインの世界では、意味内容の伝達に重きが置かれている
まずエンターテイメント性の強いドラマや映画では、タルコフスキーの一連の作品や『2001年宇宙の旅』のような一部の例外を除く大多数の作品において、前述の記事でも考察しましたように物語の伝達(理解を促す)などの説明的な要素に演出の大半が用いられていると考えられます。
またこの点はデザインも同様で、デザインの場合は伝達内容が依頼主であるクライアントが伝えたいメッセージに置き換わることになります。
このようにエンターテイメント性の強い映像作品やデザインの世界では、内容は違えど伝えたい意味内容がある程度明確に存在し、かつその意味内容をできるだけ分かりやすく伝えることに多くの労力や資金などが投入されていると考えられます。
エンターテイメント性の強い映像作品やデザインは、ビジネスの論理抜きには考えられない
恐らくこうした傾向が生じるのも、これらの業界では創作物の制作がビジネスとして行われており、したがって利益を生むことが強く求められているからではないかと考えられます。
具体的にはそれが映画であれば興行収入、ドラマであれば視聴率、デザインであれば商品やサービスの売り上げやブランドイメージの向上などです。
このように内容は異なってはいても、いずれも明確な目的が存在するため、その目的遂行のために作られる創作物に対しても何らかの明確な意図が反映されることとなり、これが意味内容の伝達という性質を帯びることに繋がっていくのではないかと考えられます。
なぜなら次のページで考察する予定のアート作品のように、情報の受け手の解釈のバラツキを許容し「自由に受け止めてもらって構わない」あるいは「解る人だけに伝われば良い」というスタンスでは、上述の目的を達成できる可能性が下がってしまうためです。
(リスクを低減させ効率を高めることも、ビジネスの重要な方策です)
仮に作品の制作者がこのようなことを望まなかったとしても、商業的な構造の元での作品制作には作り手に対して、この種の圧力が相当かかるはずです。
補足)この記事を読まれて、そうとは言えない作品もあると思われた方もいらっしゃるかと思います。
その点については別ページにて考察する予定です。
次のページでは、同じ視点からアート作品について考察する予定です。