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私説:高校の舞台芸術の画一性に懸念〜全日本高校・大学ダンスフェスティバルの高校の「創作コンクール部門」の放送からの推測

今日の夕方6時55分から、NHKEテレで第64回全国高等学校演劇大会の様子が紹介されますが、少し前に同じ舞台芸術であるダンスのコンテストの様子が同じ局で放送されていました。
内容は第31回全日本高校・大学ダンスフェスティバル(神戸)の、高校の「創作コンクール部門」の参加校のダンスをダイジェストで放送するというものでした。

コンセプトが大幅に異なっていても、ダンスの見た目はさほど変わらないという奇妙な現象

京都造形芸術大学の通信課程に入学し芸術一般について学ぶようになってからというもの、舞台芸術にも強い関心を示すようになって来たため楽しみにしていたのですが、個々の作品はともかくフェスティバル全体の印象は、残念ながら私には少々がっかりする内容でした。

私が気になったのは、ある種の画一性です。
創作ダンスのフェスティバルであるため、それぞれ独自のコンセプトに基づく作品が上演され、そのコンセプトも小説などの芸術作品を素材としたものから社会問題を扱うものまで多岐に渡っていました。

ところが大変奇妙なことに、それら異なるコンセプトに基づき制作されたダンス作品の大多数に次のような共通点が見受けられました。
・ダンサーの衣装は同じか、もしくは色味が統一されたもので揃えられ、その多くは無彩色か彩度が低いグレイッシュなもの
・ダンサーの動きはまったく同じか、多少違っていても全体として強い統一感が感じられるもの

注)これらの特徴は例えばすべての作品の衣装が似通っているという意味ではなく、それぞれの作品におけるダンサーの共通点という意味合いです。

募集要項を見る限り「全体の統一感」は必須条件ではない

恐らくこれらの共通項は、全員で1つのコンセプトを表現することに注力した結果ではないかと推測されますが、本来コンセプト次第ではむしろ強い統一感よりも不協和が感じられた方が良い作品だってあるはずです。

念のため今年の募集要項で大会の規定を調べてみると次のようなことが判明しました。
・審査の基準は「創作作品の完成度の高さ」
・それ以外の各賞の審査項目にも「統一性」を示唆する項目は見当たらず、むしろ独創性を重要視
・参加ダンサーの上限は20名

評価に当たって最も重要視される「完成度」が具体的に何を意味するのかは定かではありませんが、少なくても「完成度=統一感」ではないはずです。
その理由は既に述べたとおり、統一感の必要性はコンセプト次第であるためです。

またダンサーの数の20名という規定も、これはあくまで上限であり、決してその人数でなければならないという訳ではありません。
しかしそれにもかかわらず放送されたすべての作品において上限いっぱいか、それに近い人数のダンサーが踊っていました。

もっともこれは大人数の方が迫力が感じられるためかもしれませんが、これについてもやはりコンセプト次第ではその迫力がかえってそのコンセプトにそぐわず、その結果完成度を下げてしまうことになりかねないはずです。

また、もしかしたら部活動ゆえ、できるだけ多くの生徒を参加させたいという意向もあるのかもしれません。
ですがどの学校のダンス部も大所帯という訳ではないでしょうから、この参加人数の統一性は、少なくても私には奇妙に感じられました。

ひとまず冒頭で紹介した今日の夕方に放送される演劇のコンクールでも、ダンスと同様の現象が見られるのか注視したいと思います。

次回投稿する次のページでは、今回記載した高校生のダンスの特徴に対して私が感じている懸念事項を掲載する予定です。

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