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ART TRACE GALLERY「カナタのてざわり」の感想記事。
1ページ目ではコヤマイッセーさんの展示作品とステートメントを取り上げましたが、ページの最後でも触れましたようにデリダの『盲者の記憶』を援用したステートメントの解釈が少々強引に思えてきました。

そこでこのページでは、同じステートメントをモーリス・メルロー=ポンティの思想を参照しつつ再解釈いたします。

2ページめ目次:
ポンティの身体論
意識のコントロールを超えたドローイングの能力
矛盾した性質を同時に併せ持つという共通点
創造の神
ドローイングは他者?それとも自己の一部?

ポンティの身体論

私の理解では、ポンティは身体をもっぱら精神によって操られるものではなく、それ自体がある種の「知」を有した存在であると考えていたようです。

そしてその知は、心が有する知の常に先を行き、さらに遥かに広大かつ深遠な知覚力を持つというように、脳が身体のすべてを司ると信じられていた当時の生理学の常識に反する、かなりラディカルな発想だったようです。

意識のコントロールを超えたドローイングの能力

この考えを踏まえて、改めてイッセーさんのステートメントの前半部分を振り返ってみます。

ドローイングとは、第二の脳である。外界に対するアンテナであり、多くの情報に気づき、取集する力である。一方で気づく手段でもあり、気づきそのものでもある。素早く瞬時に消えていくものを焼き付け、ぼやけていくものを鮮明にしていく作業がドローイングである。

ここでイッセーさんは、ドローイングという行為自体にあたかも人間の心のような機能が備わっているかのような記述をされていますが、仮にそれが比喩的な表現だったとしても、このような発想はどのようにして生まれたのでしょうか。

あくまで推測ですが、それはおそらく意識のコントロールの及ばない描写が生まれるようなことを幾度となく経験され、それでドローイングという行為あるいはメディアには、何か特別な力があるに違いないと思われたのではないかと考えられます。

矛盾した性質を同時に併せ持つという共通点

またさらに細かく見ていくと、「気づく手段でもあり、気づきそのものでもある」と、ドローイングに対して複数の性質を併せ持つような神秘的な性格が付与されていますが、ポンティも身体に対して同様の性質を感じ取っていました。

このような「〇〇であり△△でもある」と矛盾した性質を同時に併せ持つことは、スピリチュアルな思想に共通して見られますが、その類似性に加えて、ドローイングという行為が直接的には手という身体の一部によって行われることから、イッセーさんの発想にポンティの思想との親和性を感じました。

創造の神

なお意識のコントロールの及ばない創作行為に関しては、創造の神が降りてきた旨の話をよく耳にします。
このような感覚は、ある日突然、斬新なアイディアや造形、詩、メロディなどが閃き、ただそれがとても自分が生み出したとは思えない時に、自分とは異なる極めて優れた存在として想起されるようです。

しかしこのような現象も、ポンティの思想に照らせば、意識がそのすべてを知覚することはできない、つまり無意識的な身体の知恵によってもたらされたものと考えることができます。

両者の違いは、自分が能力以上のことを成したと感じたときに、それを生じさせた主体を外界に求めるか、あるいはたとえ無自覚なものであったとしても、あくまで(他者の対概念としての)自己に求めるかの違いです。

ドローイングは他者?それとも自己の一部?

この点について、イッセーさんはどちらの立場なのでしょう。

ドローイングという言葉は、アート業界の中ではメディア、あるいは行為の意味で使われることが多いように思えます。
しかしステートメントの引用部分で述べられているドローイングは、主体が用いる手段という対象でありながら、なおかつ「多くの情報に気づく」主体性を有してもいます。

このため主体性を有する点を重視すれば、前述の創造の神のような外界の存在、つまり他者との印象を受けます。
しかし行為としてのドローイングは、典型的には身体の一部である手が持つ絵筆に付着した絵の具によって生み出されることから、そこには物理的な連続性が存在し、したがってたとえ無自覚な要素を含むものであったとしても、自己の延長のような存在と考えることもできそうです。

このようにステートメントの記述からだけでは、どちらの立場も解釈が可能であるため、イッセーさんにとってドローイングとは他者的な存在なのか、それとも自己の延長のような存在に近い感覚なのか、機会があればぜひ伺ってみたいと考えています。

ART TRACE GALLERY「カナタのてざわり」公式ページ

参考文献

加賀野井秀一著『メルロ=ポンティ 触発する思想 (哲学の現代を読む8)』、白水社、2009年

加賀野井秀一著『メルロ=ポンティ 触発する思想 (哲学の現代を読む8)』

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