デジタルが個性を奪うのか
先日、フルデジタルで制作する複数のイラストレーターによる展示を続けて見た。
最初に見たいくつかの展示では、ある違和感を覚えた。作家はそれぞれ異なるにもかかわらず、作品全体の印象が驚くほど似ていたのである。色彩や構図、画面の密度まで、作者名を伏せられたら同じ人物の作品集だと思ってしまうかもしれない。それほどまでに作風が似通っていた。
さらに展示には、それぞれの作家が手がけた装画の仕事も数多く紹介されていた。しかし、その装画もまた似た印象だった。
装画という仕事は、イラストレーターにとって憧れの仕事の一つだろう。本の顔となる重要な役割を担い、ごく限られた人だけが継続的に携われる世界だと思っていた。だからこそ、疑問が湧いた。
いつから、まだキャリアも浅く、強い個性も感じられないイラストレーターが、これほど大量に装画を手がけられる時代になったのだろう。
市場が求める創造性は変わったのか
もちろん、これは展示を見た印象から考えた一つの仮説に過ぎない。
近年の出版業界では、市場の縮小や自費出版の増加などを背景に、以前にも増して制作コストやスピードが重視されるようになっているのではないだろうか。
そうした状況では、デジタルツールや生成AIを活用し、短期間で多くのイラストを制作できる人材が重宝されるようになるのも不思議ではない。もし出版社が優先する評価軸が、「個性的であること」から「安定して短期間で納品できること」へと少しずつ移っているのだとすれば、似たような作品が増えることにも一定の説明がつく。
効率を追求すること自体は悪いことではない。
しかし、その結果として作家固有の表現が市場から求められにくくなるのであれば、それはクリエイティブ全体にとって、少し寂しい変化でもある。
そんなことを考えながら、次の展示へ向かった。
もう一つの展示で、その考えは揺らいだ
二つ目に訪れたのは、HB Galleryで開催されたHB FILE COMPETITION vol.36 葛西薫賞 マナベレオ個展「SLOT MACHINE」である。
展示ステートメントには、短くこう書かれていた。
日々の企みをお見せできればとおもいます。
飾らない一文だが、展示内容には、その「企み」が確かに感じられた。
ギャラリーでは展示作品だけでなく、作家が手がけた装画の仕事も数多く紹介されていた。
印象的だったのは、本ごとに絵のテイストが大きく変化していたことだ。もちろん、色使いや画面全体の空気感には、一人の作家らしい共通性がある。しかし、作品は決して画一的ではない。それぞれの本の内容に応じて表現を変えながら、それでもなお作者の存在を感じさせる。
デジタルで制作していることは同じなのに、こちらの作品には強い個性が宿っていた。
そこで、最初の展示で抱いた考えを修正しなければならなくなった。
問題はデジタルではなく、人なのだ
最初は、「デジタル制作だから作品が似てしまうのではないか」と思った。
しかし、この展示を見て、その考えは間違っていたことに気づいた。
デジタルツールは、個性を消すものではない。
同じ道具を使っていても、作家によって作品はここまで違う。
結局、個性が表れるかどうかはツールではなく、それを使う人次第なのだ。
もし似た作品が増えているように見えるのだとしたら、その原因はデジタルそのものではなく、市場が効率や安定性を重視する構造や、それに応える制作スタイルの広がりにあるのかもしれない。
一方で、マナベレオ氏の展示は、そうした時代の中でも、デジタルという手法を用いながら、自分だけの表現を成立させることは十分に可能であることを示していた。
二つの展示は対照的だった。
だからこそ、「デジタルは個性を奪うのか」という単純な問いではなく、これからの時代に創作者の個性はどのように育まれ、どのように評価されていくのかという、より本質的な問題について考えさせられる時間になった。
マナベレオ氏の個展「SLOT MACHINE」は7月22日(水)まで。
補足)今回から記事の制作に生成AIを活用しています。