関心が集中した建築物の「切断」
展示を拝見した数日前に、清澄白河にあるART TRACE GALLERYと同じアーティストランの形態のギャラリーで開催された、マッタ=クラーク展の座談会を聞きに行きました。
座談会には展示を企画した東京国立近代美術館の学芸員の方のほか、マッタ=クラークの作品に強い関心を寄せるアーティストなどが登壇していました。
そのやりとりの中で印象に残ったのは、マッタ=クラークが実際は話題となった建築物の「切断」の他にも、グラフィティーやレストランの経営など、その活動は実に多岐に渡っていたにも関わらず、座談会の話題がもっぱら建築物の「切断」の、それも造形面に集中していたことでした。
それとは対照的に展示カタログに掲載された企画者の一人の平野千枝子氏の文章では、マッタ=クラークの活動が満遍なく取り上げられていますし、また以前に紹介したことのある松井みどり著『『アート:“芸術”が終わった後の“アート”』』でも、レストランのことが取り上げられていました。
これがアーティストと学芸員や評論家との関心の違いなのだと思います。
アーティストは自分の関心事にどっぷりとはまり込む。それに対して学芸員や評論家は、観察対象との間に一定の距離を保ち、俯瞰的な視点からできるだけ客観的な考察を試みるという違いです。
ちなみに私はアーティストでありながら、学芸員や評論家の方に近い捉え方をします。
もっとも批評に関する専門的なスキルは持ち合わせてはいませんが、それでも大まかなスタンスは似ているように思えます。
ですから私自身も、特に「切断」にばかり関心を持つこともなく、むしろ「切断」の作品をたくさん見ているうちに、途中で飽きて来てしまったほどです。
次のページでは〆として、展示カタログの平野氏の文章から推測される、マッタ=クラークが数々の活動に込めた思いを、私なりに解釈してみたいと思います。