前衛(的)と実験的との違い
アート作品に対する評価や感想では、しばしば前衛(的)・実験的という言葉が使われますが、これまで両者の違いがよく分からないまま何となく直感的に使用していました。
そこでこの機会に調べてみると、アートペディアというアートの辞典サイトに次のような両用語の定義が掲載されていました。
前衛(アヴァンギャルド)とは、おもに芸術、文化、政治の分野における実験的、革新的な作品や人々のことを指す言葉
この定義を見る限り、前衛がある特徴を有する様式あるいはジャンルを表す用語であるのに対して、実験的とはその前衛の特徴の1つとみなされているようです。
イメージフォーラム・フェスティバル2019でジョイス・ウィーランドの作品を拝見
ではその前衛の特徴を表す実験的とは具体的にはどのようなものかという点が今度は気になりますが、この点について私なりに理解が進む作品を昨年の秋に拝見しました。
それはイメージフォーラム・フェスティバル2019で特集上映されていた、ジョイス・ウィーランド(Joyce WIELAND)という70年代に活躍した女性作家の映像作品です。
仕事の都合で残念ながらハンドティンティグ(Handtinting)とウォーターサーク(Water Sark)の2作品しか拝見することができませんでしたが、両作品から前述の実験的の何たるかについて腑に落ちる経験をしました。
「ノンコンセプト」=「実験的」という定義
実はウィーランドは、政治的なメッセージを込めた作品作りの先駆的な存在とみなされているようですが、一切の予備知識なしに両作品を拝見した私にはその意図が理解できず、それに代わって感じられたのは奇妙という感覚でした。
そしてその奇妙な映像の制作意図もまったく不明なため、これらの作品はノンコンセプトであり、「こんなことをしてみたら面白そう」という好奇心のみから作られたように思えました。
そしてこの鑑賞経験を機に、これまでは専ら見た目の印象から感じられていた「実験的」という感覚が、制作動機に基づく概念へと変化して行きました。
具体的には、何らかのコンセプトに基づき制作される作品に対して、その対極とも言えるノンコンセプトで「何となく面白そう」という直感的な感覚から生み出される作品という区分です。
実験を用いたその他の用語に実験精神というものがありますが、この用語の使用法に近い感じです。
最初にコンセプトありきの作品作りが相対化
ここに来て私の中では、それまでの(アート)作品とは何らかの明確なコンセプトに基づき制作されるものでなければならず、その態度こそがプロの作家とアマチュアを分かつものとの信念が相対化され、その結果コンセプトありきの作品作りが制作手法の1つに過ぎないものへと変化するに至りました。
ただこうなると、写真を例にとれば、最初は私もそうであったように、撮りたいものを撮りたいように撮っていたいわばアマチュアとプロの作家との違いが不明瞭となるという、ある意味不都合な事態が生じることにもなり、もしどうしても区別したければ新たな基準が必要となって来そうではあります…