Takaaki Kumagai氏キュレーション「TERRESTRES:ラテンアメリカ・コンテンポラリーアートへの接点」の感想記事その9。
カロリナ・ドゥラン氏に続いて紹介するのは、ケビン・エチェベリ氏のドローイング作品です。
ケビン・エチェベリのドローイング作品《都市の皮膚》の概要
こちらがエチェベリ氏のドローイング作品《都市の皮膚》(Kevin Echeverry “Dermis civica”)です。
鉛筆を用いたドローイングで、タイトルにある通り、街の風景がまるで皮膚の断面のように描かれています。
このような表現の意図は、展示カタログにあるキュレーターのTakaaki Kumagai氏の批評文によれば、「メトロポリスを取り囲む自然環境の生物学的比喩」で、具体的には「傷つきと再生の繰り返し」を表象しているとのことです。
また同じく批評文によれば、作品に描かれたコロンビアの首都ボゴタは、標高2,640mの地に770万もの人口を有する大都市で、そのような都市にありがちな全体像が掴みにくい無個性な側面を有する反面、地理的な特性としては、これほどの高地に奇跡的に平坦な大地が広がっていたため都市化が可能となったという歴史的な背景もあるようです。
ケビン・エチェベリのドローイング作品《都市の皮膚》の感想
昔見た夢との類似性
《都市の皮膚》を拝見した第一印象は、昔見た夢との類似性でした。
雪の日に母親と祖母と出かける夢☆夢日記
雪が植物の細胞の断面図のようになっていて微妙にうごめいているという夢でしたが、《都市の皮膚》は、うごめいてはいないものの断面のような感じが良く似ていました。
都市のドリーミング
またKumagai氏の批評文に目を通してから改めて《都市の皮膚》を拝見すると、今度はオーストラリアの先住民のアボリジニの人々の間で共有されている、ドリームタイム(ドリーミング)という考え方が連想されました。
ドリーミングとは夢見と訳される概念で、この考えの元では、この世のあらゆるものの中に永遠に存在し続ける部分があると信じられています。
したがって都市にも都市のドリーミングと呼ばれるものが宿っていると考えられ、そしてこのドリーミングは、たとえ都市が完全に破壊されてしまったとしても決して失われることはないと信じられているため、開発により街の光景が様変わりしてしまっても、彼らは決して悲嘆に暮れることはないそうです。
ドリーミングの逞しい生命力
作者のエチェベリ氏が、このドリーミングのことを念頭に置いていたのかは定かではありませんが、少なくても私は都市の断面図のような作品《都市の皮膚》から、都市のドリーミングの逞しい生命力のようなものを感じ取りました。
もしかしたら最初に拝見した時に、植物の細胞の断面図がうごめいている夢を連想したのも、その生命力の有様を感じ取ってのことだったのかもしれません。
引用・参考文献
「TERRESTRES:ラテンアメリカ・コンテンポラリーアートへの接点」展示カタログ
アーノルド・ミンデル著『プロセスマインド: プロセスワークのホリスティック&多次元的アプローチ』、春秋社、2012年