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老眼の進行が作品の鑑賞や制作に与える影響

昨日、四谷の整体へ行ったついでに、市ヶ谷のインスティトゥト・セルバンテスで「瀧梅岡真理子展覧会 -透明な情熱の闇-」を見て来ました。
長らくスペインで制作を続けている方の個展です。

会場である2Fのギャラリーには、瀧梅岡さんの100号を超えるような大作が多数展示されていましたが、それらの作品を鑑賞する自分自身について、ある気づきが得られましたので、今回はその洞察内容を記述致します。

100号を超えるような大作の鑑賞の仕方に関する傾向

こうした大きな作品を鑑賞する際は、無意識に数メートル離れて見てしまいますが、その理由は恐らくそうしないと全体を見渡すことができないためと考えられます。

もちろん時には大きな作品でも近づいて見ることもありますが、それは特定の部分が気になったり、質感を確かめるため、あるいはどのようにして描いているのか知りたくなったりなどの理由からですが、こうした関心は大抵作品全体を眺めた後に生じますし、またそうした関心が呼び覚まされるのは、気に入った作品に限られるのが一般的です。

離れて鑑賞した方が心地良く感じるのは、老眼が進行した影響では

このように100号を超えるような大作を鑑賞する際は、自然と距離を取って眺める癖がついていますが、今回感じたのは、その遠くから作品を眺めるという行為がとても心地よく感じられたことです。

その理由の一端は、もしかしたら瀧梅岡さんのモチーフの数を絞った作風にあるのかもしれませんが、この時とっさに連想したのは老眼の影響です。

私は40代後半から作家活動を始めたため、スタート時には既に老眼鏡が欠かせない生活を送っていました。
しかしその老眼がさらに進行し、先月眼科を受診した際に、メガネの度数の調整を勧められました。

私が普段かけているメガネは近視用で、これまでこのメガネで作品も鑑賞して来ました。
このメガネは3メートルの距離にピントが合うように調整されているため、それより近い距離のものを見ようとすると、肉眼のピント調節機能を使って焦点を合わせる必要があります。
しかし老眼はそのピント調節機能が衰える老化現象ですので、それには限界があります。

以前はそれでも何とかピントを合わせることができましたので、作品鑑賞でそれほど不便を感じることはありませんでしたが、老眼が進行した現在では無理に近づいて見ると途端に目が痛くなってしまいます…

それに対して大作全体を眺める時の数メートルという距離は、肉眼のピント調節機能をほとんど使わずに済む、老眼にとってとても楽な距離です。

これが大作全体を数メートル離れて鑑賞した時に、これまでになく感じられた心地良さの理由ではないかと考えられます。

今回は鑑賞について考察しましたので、次のページでは老眼の進行が作品制作に与える影響を考察してみたいと考えています。

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