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他者との相互作用により企画内容を簡単に変化させる企画者あるいはキュレーター像

少し前に「実験的作品についての私的理解 – コンセプトの有無による分類」の中で、あくまで個人的な印象ですが、イメージフォーラム・フェスティバル2019で拝見したジョイス・ウィーランドの作品が、緻密なコンセプトに基づくものではなく、もっぱら興味や関心から生み出されたように思え、その体験からこれまで抱いていた「アート作品とは考え抜かれたコンセプトから生み出されなければならない」との信念が、1つの方法論への相対化されたことを述べました。
そして3日前に、また別の事柄で、これまでの常識が相対化されていることに気づきました。

気づけば短時間に2度も企画内容を変更していた

先日投稿した「校則破り」の企画を、所属のART TRACE GALLERYの他のメンバーにチェックしていただいたところ、複数の懸念が表明されました。
このためそれらの懸念に応える形で、改めて企画内容をまとめ直してみたところ、最初の投稿とは力点が大きく異なってしまっていることに気づきました。

このためこの時は自分の中で上手く整理がついていないために、他者の意見に左右される形で内容が変わってしまったのだろうと考え、その点を反省しました。

ところが話はこれだけでは終わりません。その日の夜になってから今度はギャラリーの会議に出席し、その場で企画班の一員として「校則破り」のプレゼンを行いました。
詳しいやり取りは省きますが、この時も予想してはいましたが、他のメンバーの関心は総じて薄いものでした。

しかしあるメンバーから私自身考えもしなかったアイディアが飛び出し、しかしそのアイディアがとても面白く感じたためその案に賛成しました。
つまり私は同じ日に2度にわたって、自分が立てた企画案をいとも簡単に、それも大幅に変更してしまったのです。

企画内容をコロコロと変えてしまうことの是非

この企画者としての私の態度を、皆さんはどう思われるでしょう。
人それぞれ考え方はあるでしょうが、恐らく大多数の方はこんなに簡単に考えを変えてしまうような人間が企画者では、怖くてとても任せられないと不安になるのではないでしょうか。

少なくても会社勤めをしていた頃の私も同じ考えでした。しかし今はその考えが大きく変化し、たとえ他者から影響を受けてのことであったとしても、結果的により面白みが感じられるものに変化したのなら、それはむしろ好都合ではないかと考えるようになりました。

もっとも、常識的な見解と考えられる首尾一貫性を有した企画者像は、その企画に参加するメンバーに多大な安心感を与えるでしょうし、また恐らく優れたリーダーシップも発揮してくれるでしょうから、そのような企画者像を否定するつもりは毛頭ありません。
しかしこの時の体験から、そうした企画者像が唯一の理想ではなく、1つの在り方へと相対化していることを自覚しました。

スタートアップ企業の迅速な意思決定の心地良さ

なお今回のような企画者像に対する価値観の変化には、実は伏線があったことにも後から気づきました。

私は無名の存在ではありますが、心理カウンセラーという心理職の肩書きを持っているためか、時々その専門知識などを期待されて、マスメディアへの出演や記事の執筆・監修、あるいは企業から企画等への助言などを求められることがあります。

そうした企業の大部分は、スタートアップと呼ばれる創業間もない企業ですが、こうした企業で働く方々と打ち合わせなどをした際にしばしば感じることは、頭の回転と決断力の速さです。

例えば、ある心理テストを用いたウェブ上のサービスの企画会議に同席した時のことです。私から提供された情報がまったくの想定外だったようで、急遽その場で活発なやり取りが行われました。私もかなりの数の質問を受けました。
そして最終的には、その場で大規模な方針変更が決定されました。ちなみにその間の所要時間は1時間半弱です。

この例のように、多くのスタートアップ企業では検討はその場で迅速に行われ、決定もその場で下す傾向があるようでしたが、私にはこのペースがとても心地良く感じられました。

このように元々こうしたマインドを持っていたため、アートの世界で企画に携わるようになってからも同じようなマインドが作用し、その結果自分の立てた企画を修正すること対して、それが建設的な方向と感じられれば、ほとんど抵抗が生じないのではないかと考えられます。

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