筆者:Kenji Tajiri
鑑賞日:2026年9月18日
9月18日、東京・京橋のTODA BUILDINGを訪れた。3階のコマーシャルギャラリーで展示を見た後、1階と2階のパブリックアートのスペースにも立ち寄った。
そこで展開されていたのが、APK PUBLIC Vol.2「未完の都市:The Becoming City」である。藪前知子のキュレーションのもと、手塚愛子、藤倉麻子、渡辺志桜里が、それぞれの視点から都市を捉える作品を発表している。
なかでも長く印象に残ったのは、2階回廊の西エリアにある渡辺志桜里《地霊》(2026年)だった。展示のある場所へ足を踏み入れる前から、音が聞こえていた。その音に包まれていると、ビルの中にいながら、大地のエネルギーに触れているような心地よさを感じた。
都市を形づくる建物や道路の奥には、何が残っているのだろうか。《地霊》との出会いは、目に見える都市の輪郭から、その場所に響くものへと意識を向ける体験になった。
音に導かれて見た、太鼓のようなもの
会場には、和太鼓のように見える大きなオブジェが、互いに間隔を置いて並んでいた。木枠の上に横たえられたそれぞれの形は、向きも少しずつ違う。床の余白も含めた配置には、石庭を眺めるような感覚があった。

ところが、後から撮影した写真を見直すと、その姿は太鼓というより、巨大な壺だった。胴は丸く膨らみ、片側には口が開いている。見る方向を変えた写真では、底へ向かって細くなる形もはっきり分かる。

なぜ、私は最初に太鼓だと思ったのだろう。おそらく、すでに音を聞いていたために、「音がするものは楽器だ」という連想が無自覚に働いていたのだと思う。見た形をそのまま受け取ったつもりでも、実際には、耳から入ってきた情報に導かれていた。
写真には会場の音が残らない。音を失った写真を見直すことで、かえって、その音が自分の見方をどれほど方向づけていたかに気づいた。
異世界への入り口のような、暗い穴
オブジェの開口部をのぞくと、中は空洞になっている。口の縁から奥へ続く形は見えるが、穴の奥は真っ暗で、何があるのか分からない。その暗がりが、異世界への入り口のように感じられた。

目の前にあるのは、輪郭も大きさも分かる物体である。それなのに、口の奥だけは視線が届かず、確かめようとするほど、その向こうを想像してしまう。空間を満たす音と、奥の見えない穴が重なることで、甕は何かを収める器であると同時に、別の世界へ通じるものにも見えた。
鑑賞中には、開口部の前に立つことが、音の発生に関わっているように思えた。もし自分の位置によって音が変わるのなら、複数のオブジェの前を移動することで、即興的な演奏ができるのではないか。そう考えると、作品の間を歩くこと自体が、聴く行為と演奏する行為のあいだにあるものとして感じられた。
ただし、音が鳴る仕組みをその場で確かめられたわけではない。展示スペースに入る前から音は聞こえており、人が開口部の前に立つことだけが、音の鳴る条件ではないのかもしれない。
それでも、「自分もこの響きに関わっているのではないか」という想像は残った。作品から距離を取って聴いているつもりが、自分の立つ場所や歩き方まで気になり始める。そのとき、鑑賞者である私の身体も、音のある空間の一部になっていた。
特定の風景に収まらない響き
聞こえていた音には、シンセサイザーを思わせるものも、自然音をサンプリングしたかのように感じられるものもあった。これは音源を特定した説明ではなく、私の耳にそう聞こえたということである。
その響きから、昔聴いたP-MODELのカセットブック『SCUBA(スキューバ)』(1984年、JICC出版局)のことを思い出した。平沢進の音楽に触れたその記憶からよみがえったのは、具体的な旋律よりも、音に身を浸しながら、普段とは違う時間を過ごした感覚だった。
一方、《地霊》の音からは、特定の国や地域の風景が鮮明に浮かぶことはなかった。どこか一つの場所へ連れていかれるというより、いくつもの気配が同じ空間に集まっているように感じた。
私はその印象を、集合的なものとして受け取った。誰か一人の声や、一つの文化の輪郭を聞き分ける前に、さまざまな存在の響きに包まれる。大地のエネルギーに触れたような心地よさは、そうした、音の出どころを一つに絞れない感覚から生まれていたのかもしれない。
都市の中で思い出した、ドリーミング
その響きと暗い穴から、以前読んだロバート・モスの『コンシャス・ドリーミング』で触れた、「ドリーミング(夢見)」という言葉を思い出した。アーノルド・ミンデルの『24時間の明晰夢』も読んでいたが、今回の連想の中心にあったのは、モスの本だった。
私の中に残っていたのは、夢見を眠っている間の体験だけに閉じず、目覚めているときの世界の受け取り方にもつながるものとして考える視点である。甕の奥に異世界への入り口を感じたことも、そうした読書の記憶と響き合っていたのかもしれない。
以前、ART TRACE GALLERYの「風の振る舞い」について書いた記事でも、ドリーミングに触れた。そのとき考えたのは、都市が破壊されても、その都市のドリーミングまで失われるのだろうか、ということだった。形あるものが失われたとき、私たちはその喪失に目を向ける。しかし、その場所にあるものを、目に見える形だけで捉えてよいのか。この問いが、《地霊》の前で再びよみがえった。
ここでいうドリーミングは、主にモスの本を読んで私が受け取ったものと、過去の鑑賞を通して育ってきた連想である。先住民の多様な文化における意味を、一つの説明にまとめることはできない。また、《地霊》がこれらの本や思想を直接の背景としていると述べたいわけでもない。
建物を建て、道路を敷き、土地の表面を変えることで、そこにあるものをすべて置き換えられるのだろうか。整えられたビルの回廊で音を聴いていると、都市にも、設計図や用途だけでは捉えられない何かがあるように感じられた。穴の奥が見えないことは、その捉えきれなさに、具体的な形を与えていた。
鑑賞後、公式サイトで作品名が《地霊》であることを知ったとき、その言葉はとても腑に落ちた。目に見える形の奥にある、容易には名づけられない気配。それを私は、音と暗がりを通して感じ取っていたのだと思う。
心地よさの奥にあった、鎮められない声
さらに公式解説を読むと、《地霊》は、音響効果のために能舞台の床下に埋められてきた甕から発想された作品だと分かった。そこには、国の成立に際して圧服された存在を伝える声や、能の足拍子との関わりが記されている。響きには、そうした声を鎮めるのか、呼び覚ますのかという問いが重ねられている。
展覧会公式ページ・渡辺志桜里《地霊》解説
この説明を知ると、鑑賞中に感じた心地よさも、少し違って見えてくる。私が大地のエネルギーとして受け取ったものには、土地に封じられた声や、都市が成立する過程で押しやられた存在の記憶も含まれていたのかもしれない。
耳に心地よい響きであることと、その背景にあるものが穏やかであることは、必ずしも一致しない。むしろ、心地よさに導かれて立ち止まったからこそ、後になって、その響きが抱える緊張にも目を向けることになった。
この感覚は、先日見た「束芋画 国宝」展にもつながっている。束芋の挿絵では、美しくやわらかな色彩が人物の間に広がり、関係を結ぶ気配にも、人を包み込んで離さないしがらみにも見えた。《地霊》で感じた音の心地よさにも、そこに重なる声を知ることで、緊張が生まれた。色彩と音という異なる表現に触れながら、私はどちらでも、感覚を惹きつけるものの奥に、人や土地に作用する見えない力を考えていた。
能舞台の下で音を支えていた甕が、ビルの回廊では目に見える姿で置かれている。その移動を考えると、舞台の表面では見えなかったもの、歴史の表側には現れにくかったものが、ここで聴く対象として差し出されているように思えた。
私が特定の地域に収まらないと感じた音には、能という芸能を手がかりにした具体的な背景があった。その背景を知ったことで、最初の感覚が消えたわけではない。むしろ、一つの文化に根ざした表現が、見る者の別の記憶に触れ、思いがけない連想を生むことに、作品の広がりを感じた。
普段は聞き逃しているものへ
鑑賞を振り返るうちに、ジョン・ケージ《4分33秒》(1952年)にも思いが向かった。演奏者が楽器の音を出さない時間を設けることで、会場や周囲に生じる音が聴く対象として浮かび上がる作品である。MoMAの解説でも、日常の音へ注意を向け、何を音楽と捉えるかを問い直す作品として紹介されている。
MoMA《4分33秒》解説
《地霊》では作品の音が私を立ち止まらせたのに対し、《4分33秒》では、期待した演奏音がないことで、すでにその場にある音へ注意が向く。私が両者のあいだに感じたつながりは、その方法よりも、聴く側の変化にある。何を聴くべきかという構えが揺らぐと、普段は意識の外に置いていたものが入ってくる。
《地霊》を通して私が耳を向けたのは、実際に鳴っている音と、その背景を知って初めて想像した、土地に重なる声だった。環境の音を聴くことと、歴史の中で押しやられた声を想像することには違いがある。それでも、聴こえていなかったものが、注意の向け方によって自分に関わるものになるという点で、ケージの作品が誘う聴き方を思い出した。
完成した建物に残る、未完の都市
今回、私にとって「未完の都市」という題名は、《地霊》の音を通して実感を伴うものになった。
建物として完成していても、その場所を生きる人々の経験や、土地に重なる記憶まで完結するわけではない。新しい空間にも、過去の声が入り込み、そこを訪れる人の記憶が重なる。私が思い出した音楽や読書も、その日の鑑賞に加わっていた。
最初に太鼓だと思ったものは、写真を見返すと壺に見え、公式解説を読むと能舞台の甕へとつながった。同じ形でも、音や知識が加わるたびに、見えてくるものが変わる。都市もまた、目に見える建物の集合として捉えるだけでは、その場所の奥行きを見落としてしまうのかもしれない。
《地霊》を聴いていたとき、私は都市から離れたわけではなかった。都市のただなかで、普段は聞き逃しているものへ耳を向けていた。その響きの心地よさと、そこに重なる声の意味とのあいだを、鑑賞後も行き来している。甕の奥の暗がりは、その問いを閉じないまま、今も記憶の中に残っている。
展覧会情報
APK PUBLIC Vol.2「未完の都市:The Becoming City」
会場:TODA BUILDING 広場、1–2階エントランスロビー・回廊
所在地:東京都中央区京橋1–7–1
会期:2026年6月1日~2027年11月30日
参加作家:手塚愛子、藤倉麻子、渡辺志桜里
キュレーター:藪前知子(東京都現代美術館学芸員)
入場:無料
公式ページ:ART POWER KYOBASHI「APK PUBLIC Vol.2」
開場時間や鑑賞に関する最新の案内は、公式ページをご確認ください。
ドリーミングの参考書籍・関連記事
ロバート・モス著『コンシャス・ドリーミング―アボリジニやネイティブ・アメリカンのシャーマンたちから学んだ夢見の技法』、ヴォイス、2002年![]()
アーノルド・ミンデル著『24時間の明晰夢―夢見と覚醒の心理学』、春秋社、2006年
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