今回の記事はアート&ソサイエティ研究センター SEA研究会編『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』の紹介です。
目次:
ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)とは
アート本でありながら社会情勢の話が多くを占める
『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』の全体的な感想
・SEAの実践は多様性に満ちている
・アートの枠内に留まることの限界も露呈
ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)とは
アート作品は、一般的にはアーティストが自己表現を目的として制作・発表する造形物その他を指すと考えられています。
しかしソーシャリー・エンゲイジド・アート(通称SEA)では、その作家性とも称される要素に疑問を呈し、アート・ワールド以外の人々との協同に力点を置くなど「社会との深い関係を志向する芸術実践」です。
そして同書『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』は、タイトルにもある通りSEAの歴史や理論、そしてアーティストの実践例を通じて「SEAを多角的に考察すること」を目的としています。
アート本でありながら社会情勢の話が多くを占める
同書の際立った特徴は、アート本でありながら社会情勢の話が多くを占めていることですが、これはSEAが社会との深い関係を志向しているがゆえに、その社会の影響を強く受けているためと考えられます。
このため例えば第1章の「社会的協同(Social Cooperation)というアート – アメリカにおけるフレームワーク」では、ヨーゼフ・ボイスやアラン・カプローなどのSEAの先駆的な活動とともに、当時のSEAに大きな影響を与えた公民権運動やフェミニズムの紹介についても多くのページが割かれています。
『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』の全体的な感想
最後は『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』の全体的な感想で締めたいと思います。
SEAの実践は多様性に満ちている
SEAには社会的協同という大枠の思想は存在してはいるものの、その実践の多くは各々のアーティストがその時々のアート・ワールドの規範を打ち破る形で行われてきました。
このため実践方法が体系化されている訳ではなく、むしろ実践の数だけ各々のアーティストの知恵と工夫が詰まった手法が存在すると言える非常に多様性に満ちた世界です。
したがってこれからSEAを実践するためには、ハウツーを学ぶのではなく、既存の理論や膨大な実践例を参考に、自らの関心にしたがいその手法を構築していく姿勢が望まれるのでないかと考えられます。
アートの枠内に留まることの限界も露呈
また同書を通じてSEAには、実践手法は多様でありながらも、現状では大きな限界があるようにも思えました。
それは同書の記述によるフルクサスの活動がそうであったように、社会的協同を志向しアート・ワールドの規範を打破しながらも、ギリギリのところでは社会的境界を超えることなくアート・ワールド内に留まり、なおかつアートとして評価されることを捨て切れなかった点です。
またフルクサス以外の活動についても、その創作物や行為がアート作品として美術史の文脈で語られたり、あるいは適切に批評されることが、何より必要なこととして語られている印象を受けました。
しかしこれだけではアート・ワールド内では斬新さから注目されはしても、外の世界の人々も巻き込むような大きなムーブメントにはなり得ず、したがって社会変革に繋がる可能性は低いように思えました。
また同様にして、美術史に名を刻むことはできても、通史としての歴史にその名が登場することも期待できないため、アート・ワールド以外の人々からはいずれ忘れら去られてしまうことも危惧されます。
しかしそれでも(現状の)SEAという思想が高く評価されているのだとしたら、それはSEAというものが社会に与えるインパクトではなく、あくまでアートの範疇で扱える要素の拡大に貢献した点においてではないかと考えられます。
補足) 同書を通じて、カプローの他にもブラジルのパウロ・フレイレの著書に特に興味を惹かれました。
心理臨床の仕事の上で主体性を最も重視しているため、フレイレの方法論はそれを育む有効な手法のように思えたためです。
紹介文献
アート&ソサイエティ研究センター SEA研究会編『ソーシャリー・エンゲイジド・アートの系譜・理論・実践』、フィルムアート社、2018年