写真家 田尻健二のウェブサイト(Ver.3)。撮影した写真・展示情報・写真をはじめとしたアート情報などを掲載。今後の展示予定:2019年1月23日~2月23日 CHI-KA「QUOZ ART FEST, GPP PHOTO WEEK」、2月28日~3月3日 CP+2019 PHOTO HARBOUR内 大さん橋ホール「Photobook JP」

次回作のコンセプトのソース1〜カメラの操作までアシスタントに委ねる必要があるのか

時間的制約の存在を知らずに感じていた「白の美術館」の表現者への違和感

数年前からBS朝日とテレビ朝日で、月2回のペースで「白の美術館」という番組を放送しています。
公式サイト https://www.pola.co.jp/special/shirobi/

アーティストをはじめとした各界の著名人が、真っ白な空間の中で表現を試みる番組です。
実はこの番組には「制作時間1時間」という制限があり、その情報を見落としていたため、時々大勢のスタッフを使いながら「表現」を試みる著名人が登場する度に違和感を感じていました。

なぜなら私自身、人物の被写体や技術的なサポートなどがどうしても必要な場合を除けば、撮影を含めた作品制作は基本的に1人で行いますし、また搬入と呼ばれる展示の飾り付け作業も、やはり1人で行うことが多くなっています。
また知人にも私と同様のスタンスの人が多いため、番組を見ながら同じ表現でもまるで住む世界が違うように感じていました。

しかし番組のこの状況は、上述のように「制作時間1時間」という制約の影響が非常に大きいと考えられます。

広告写真などの撮影現場における過剰な役割分担

ところが前述の事柄について思考を巡らせているうちに、個人的には本当にそれだけ多くの人員を必要としているのかと疑問に思う業態のことが連想されました。
それはスタジオなどで行われる広告写真(コマーシャルフォト)の撮影です。

もっとも私は広告写真は未経験ですので、これはあくまで素人が感じる疑問に過ぎません。
しかし広告写真をはじめとしたアシスタントを使った撮影では、しばしばレンズ交換のみならず絞り値の設定など、シャッターを押すこと以外のカメラ操作のほとんどをアシスタントが行うのが常識とされる現場があると聞きますし、私自身も過去にそのような現場を想定したトレーニングを受けたことがあります。

また、たとえカメラの操作はアシスタントが行っても、イメージを決定するのはあくまでカメラマン(フォトグラファー)であるため、そのアシスタントはカメラマンが頭で思い描いているイメージを正確に理解している必要があるとも聞きます。
このためアシスタントには、いちいち細かく指示されなくてもカメラマンの意図を(正確に)読み取る「阿吽の呼吸」が要求されることになり、私自身も上述のトレーニングでそのように教わりました。

しかしアシスタントに「阿吽の呼吸」を要求するような、今日の価値観に照らせばパワハラ*に該当しかねないような行為に及ばなければ機能しない状況なのであれば、写真のクオリティに影響しない範囲で可能な限り自分で行った方がコミュニケーションに関するトラブルも減るでしょうし、またそのスキルを当然有しているはずです。

*(写真業界ではなく)世間一般の今日の価値観に照らせば、阿吽の呼吸を要求するような態度も、相手を自分の手足のように思い通りに扱えるものと認識しているという点で、相手の自尊心を傷つける行為とみなされます。

ディレクションが役割だとするとカメラマン(フォトグラファー)という肩書きは的を得ていない

もしかしたら広告写真などの大人数で臨む撮影現場のカメラマンの役割は、映画監督のように全体を取り仕切ることなのかもしれませんし、それならカメラの操作をアシスタントに任せてしまうことも納得できます。
しかしそうであれば肩書きはディレクターもしくは撮影監督などの方が的を得ているはずです。

以上のような考察から、広告写真などにおける大所帯の撮影現場では、必要以上の役割分担がなされているのではないかというのが素人なりの実感です。

次回作のコンセプトの元となった今回の考察

最後に今回の記事は、タイトルにも示されているように業界批判が主たる目的ではありません。

実はここに書かれていることを考えてから数日後に、先日紹介した『現代アートとは何か』で、現代アート業界のある習わしについての記述を目にし、両者が結びついたことで次回作のアイディアが閃きました。
ですから少々回りくどい説明となりましたが、それまでの経緯を書きたかったというのが本当のところです。
つまり今回の記事にあるような疑問から、作品のアイディアが生まれたということです。




写真家 田尻健二
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