少し前に所属のアートトレイスギャラリーで、Ree 理咲子さんの個展「Dance Notation ダンス・ノーテーション ~踊り描く楽譜~」を拝見しました。
今回はその感想記事です。
まず会場に入ると、ご覧のような光景が目に飛び込んできました。
舞踏譜や図形楽譜の手法を参考に、踊りから譜面を作り出す試み
あいにく作家のReeさんは不在でしたので、展示の趣旨をステートメントから推測しますと、今回の作品は音楽とのコラボレーション作品のようです。
具体的には「舞踊譜と図形楽譜の手法を参考に、(音楽に反応する)身体が描き出す幾何学模様を楽譜に対応させ、踊りから譜面を作り出す、まさに”反”舞踊譜ともいえるような絵画を、パフォーマンスによって完成させる」というものです。
なおここで”反”舞踊譜と「反」がついているのは、通常舞踏譜を用いる場合は先に舞踏譜が存在し、それに基づきダンサーがパフォーマンスを行うのに対して、今回の展示では舞踏譜に当たるものが後から完成する、つまりプロセスが逆方向だからではないかと考えられます。
“反”舞踊譜が作られる様子
会場では完成した”反”舞踊譜の他に、その”反”舞踊譜が作られる様子が映像で流されていました。
ちなみに事前にこのギャラリーで行われたライブ・パフォーマンスを収録したもののようです。
(Reeさんの許可を得て、その一部を公開させていただきます)
メディア(媒体)に徹するダンサーの態度
この”反”舞踊譜が作られるライブ・パフォーマンスの映像を見ながら、以前に紹介した『踊る身体のディスクール』に綴られている古典バレエの舞踏譜のことが連想されました。
具体的な年代までは書かれていませんが、当時のバレエの舞踊譜には、ステップとともにダンサーが踊るルートが記され、ダンサーにはその舞踏譜の指示どおりに踊ることが要請されていたようです。
このことは当時のバレエ・ダンサーには、まだ自己表現という認識は希薄で、あくまで舞踏譜の内容を三次元の世界で忠実に表現するメディアの役割が期待されていたように私には思えます。
そして映像越しに見えるReeさんの様子からは、”反”舞踊譜ゆえにプロセスは逆方向でも、音楽が自身の身体を通して絵画という二次元の物質に変換されていくためのメディア(媒体)に徹しているように思え、この点が先の自己表現欲求が抑制された古典バレエのダンサーの態度とオーバーラップしました。
もし今後Reeさんにお会いする機会があれば、この辺りの心境を伺ってみたいと考えています。
アートトレイスギャラリー「Dance Notation ダンス・ノーテーション ~踊り描く楽譜~」公式ページ
(展示はすでに終了しています)