前のページで、ベンヤミンが『複製技術時代の芸術作品』で論じている芸術作品の〈いまーここ〉的性質は、中世の時代までの主流であった、特定の目的のために特定の場所に設置されるサイトスペシフィックな作品を念頭に置くと理解しやすい旨のことを書きました。
当初はこの解釈で何とか理解が進みましたが、少し読み進めるとまた混乱する内容に突き当たりました。
それはベンヤミンの〈いまーここ〉的性質自体の捉え方についてです。
宗教やスピリチュアルな心理学における〈いまーここ〉の概念では伝統という過去の概念に価値を置かない
私が〈いまーここ〉という言葉を聞いた時に真っ先に思い浮かべるのは、例えば70年代にアメリカの西海岸を中心に一世を風靡したラム・ダスの『BE HERE NOW』に象徴されるような、東洋の宗教実践における〈いまーここ〉です。
『BE HERE NOW』の表紙には次のような言葉が綴られています。
未来のことは考えないこと
ただ、ここにいまいるように
過去のことは考えないこと
ただ、ここにいまいるように
この言葉の意味は、最近話題のマインドフルネスを思い浮かべていただくと分かりやすいかと思います。
マインドフルネスでは「いま」「ここで」生じている呼吸に意識を集中させ、その逆に思考や感情などからは極力意識を遠ざけようとします。
その結果、過去の出来事や未来に思いを馳せる行為には価値が置かれなくなります。
東洋の宗教実践における時間軸は、過去から未来へと続くものではなく、無数の「いま」の生起なのです。
〈いまーここ〉に伝統を重ね合わせるベンヤミン
ところがベンヤミンは『複製技術時代の芸術作品』の中で〈いまーここ〉という同じ言葉を、まったく異なる意味で用いているようです。
どんなに完璧な複製においても、欠けているものがひとつある。芸術作品のもつ〈いまーここ〉的性質ーそれが存在する場所に、一回的に在るという性質である。しかし、ほかならぬこの一回的な存在に密着して、その芸術作品の歴史が作られてきたのである(『ベンヤミン・コレクション1ー近代の意味』P.588)。
ここで歴史という言葉を用いていることから、ベンヤミンは〈いまーここ〉という概念を、いま、この瞬間という意味で用いてはいないことは明らかです。
またその〈いまーここ〉的性質を複製にはないものと考えていることから、ここでの「いま」とは物理的な時間軸のことを意味しているわけでもないようです。
なぜなら物理的な時間軸とは、作品がオリジナルか複製かに関わらず、等しく作用するものと考えられるためです。
ベンヤミンが用いる〈いまーここ〉的性質とは、物理的な時間軸とはほとんど無関係なのでは
このように考えると「〈いまーここ〉的性質ーそれが存在する場所に、一回的に在るという性質」とは、一回だけ作られたオリジナル作品が有する性質を意味することになるかと思いますが、そのような性質に〈いまーここ〉という言葉が当てられているために、私は混乱してしまったのです。
またベンヤミンはこの〈いまーここ〉的性質を、後の部分でアウラと定義していますが、その説明の仕方にも戸惑いを感じましたが、それについては別の機会に譲ります。
追伸)余談ですが、ラム・ダスの『BE HERE NOW』はページをめくるだけでもトリップしそうなナイスな装丁です。
今でも増刷を続けている名著です。
引用文献
ラム・ダス、ラマ・ファウンデーション著、吉福伸逸翻訳『ビー・ヒア・ナウ―心の扉をひらく本』、平河出版社、1987年
『ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)』、筑摩書房、1995年
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