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祖母の死を写真に収めたい欲望に駆られる – 写真日記

一昨日のイブの日、祖母が亡くなりました。1ヶ月ほど前から実家のそばの介護施設に入居していましたが、スタッフの方によれば数分前まで寝息を立てていたのに突然呼吸が止まっていたそうです。このため実家の母も、死に目に会えませんでした。

これまでの家族の死をテーマとした私写真への食傷感

ご承知のように日本の写真家の間では、私写真の一種と考えられる家族の死をテーマとした写真を撮る人が非常にたくさんいます。
そうした写真も当初は心を動かさせる作品がありましたが、同じような写真を無数に見るうちに食傷気味になって行きました。

もちろん撮影者にとっては特別な意味を有しているのでしょうが、作品として評価した場合は(少なくてもコンセプトの部分については)オリジナリティに欠けているように思えるため、いつしかそうした写真に興味を失って行きました。
またそうした理由から、自分がそのような私写真を撮る事はないとも思っていました。

私自身が祖母の死を写真に収めたい欲望に駆られる

ところが今こうして自分の祖母が亡くなると、その出来事を写真に収めたい、あるいはそうしなければならないというような感覚が芽生えて来ました。

祖母の死

絵画の世界においても、モネやムンクなど著名な画家の多くが家族や身近な人の死を作品化しています。
こうした行為は一般の方には不謹慎に思えるかもしれません。しかしそれがアーティストを突き動かす、ある種冷徹な欲望の一つなのかもしれません…

追伸) 葬儀を終え実家に戻ってからは、祖母の部屋を撮る予定です。そこは祖母が生活していた場所というだけではなく、私が子供の頃よく遊んだ場所でもあったためです。

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