金川晋吾「Portraits」展示風景

金川晋吾「Portraits」感想

要旨:SHINBI GALLERYの金川晋吾「Portraits」について、同じ写真家として制作意図に焦点を当て、ステートメントにもあるポートレイトの非ドキュメンタリー性という観点から感じたことを記しました。

金川晋吾「Portraits」ステートメント抜粋

先月、西新宿の新宿美術学院内にあるSHINBI GALLERYで、金川晋吾「Portraits」を拝見しました。
老人ホームの入所者を撮影した二枚組のポートレイトを複数展示したものでしたが、今回はステートメントでも言及されているポートレイトの非ドキュメンタリー性を示すために彼が用いた手法について私なりに考察します。

まずは考察に必要な部分をステートメントから引用します。

ポートレイトという形式の写真を鑑賞するとき、まるでその人の本質がそこに映し出されているような幻想を勝手に抱いてしまうことがあります。そのように、写真がある決定的な瞬間を捉えた象徴的なものとして読み解かれることに対して、金川は違和感を持っていると言います。

金川は自身の対象に対する態度を模索する中で、あえて中心的視座を持たない、揺らぎを積極的に受け入れるようなイメージを作ることを試みるようになります。そこから生まれた形式が、この「二枚の写真を並置する」というものでした。
人物を撮影する際には通常連写を行い、その微細な表情の変化を捉えます。金川はそのように撮影された写真の中から任意の瞬間を二枚選び並べることで、イメージの表面を行きつ戻りつするかのような、直線的ではない時間の経験を生み出そうとしています。
それはいわゆる「老人」のイメージが、ともすれば遺影のような象徴性や、老いという不可逆な時間を勝手に物語ってしまうことに対する、作家なりの批評的態度とも言えるのかもしれません。

展示する写真を「任意に」選んだ理由

最初にこのステートメントを読んだ時、「任意の瞬間を二枚選び」の任意の部分を読み間違えたのではないかと思いました。
なぜならもし私がこの趣旨から作品を制作するのなら、任意ではなく、例えば最初と最後の2カットというように機械的に決定して、できるだけ自分の意思が反映されないように工夫するだろうと考えたからです。
(この私の手法については、別の機会に詳しく取り上げます)
しかし会場の作品を拝見するうちに、展示する写真を任意に選んだ理由が理解できました。

2枚並べられた老人のポートレイトは遠目からは同じような写真に見えても、近くに寄って差異に注目すると、さまざまな点で違いが見られます。
例えばあるポートレイトでは片方だけアウトフォーカスになっていましたし、表情がけっこう異なるポートレイトもありました。

おそらく金川さんは、このようによく見れば異なる要素が見出されるように、連写で撮影されたポートレイトの中からできるだけ差異が存在する写真を選び出し、それによって前述の引用文にも示された「遺影」「老い」といった老人のポートレイトのステレオタイプな印象を覆そうと試みられたのではないかと推測されます。

また展示するポートレイトを任意に選ぶ行為は、次のページで詳しく考察する予定のポートレイトの非ドキュメンタリー性という観点とも符合するものと考えられます。

展示は2月20日(土)までですので、お見逃しなく。

SHINBI GALLERY 金川晋吾「Portraits」展 公式ページ

金川晋吾「Portraits」展示風景
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