要約:テレビ朝日「閉ざされた芸術展」の放送内容をベースに、「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」を、作品「平和の少女像」を例に「表現の自由」以外の要素について私なりに考察。
テレビ朝日「閉ざされた芸術展」の放送内容をベースに「表現の不自由展・その後」について考察
これまで「あいちトリエンナーレ」の企画展「表現の不自由展・その後」が、電凸と呼ばれる大量の苦情や脅迫などにより早々に中止に追い込まれた(但し会期終了間際に再開)ことについて、様々なメディアで取り上げられて来ましたが、先週末のテレビ朝日「テレメンタリー2020」でも「閉ざされた芸術展」と題するそのようなテーマの番組が放送されていました。
今回はこの「閉ざされた芸術展」の内容を中心に、本件に関して私なりに考察してみたいと思います。
但し表現の自由に関しては、既に非常に多くの考察や議論が存在し、また私自身いまだによく理解できていない事柄でもありますので、今回はそれ以外の部分に焦点を当てたいと考えています。
あくまで二次的な情報に基づく考察ですが、それでも複数の情報源に触れたことで、私なりに興味深い洞察を得ることができたためです。
「閉ざされた芸術展」で初めて作品コンセプトを知る
まず「閉ざされた芸術展」のウェブページには詳しい内容が掲載されていないため、同番組で作家の一人の金運成(キム・ウンソン)さんから説明があった制作意図(作品コンセプト)が概ね掲載されているページを提示致します。
キム・ウンソンさんによれば《平和の少女像》(正式名称「平和の碑」)は、直接的には慰安婦の方々をモチーフとしていながらも、その願いは世界平和にあるとのことです。
さらにこの少女像は、よく見ると足が地面から少し浮いた形で設計されており、そこには慰安婦の方々をめぐる(日本ではなく)韓国の状況が表現されているとのことです。
具体的には戦争により大変な苦痛を強いられた慰安婦の方々が、終戦後今度は自国民から「恥ずべき存在」として不当な扱いを受け続けて来たという、どこにも居場所がない状況が表現されたものとのことです。
しかしこれらの作家の制作意図とは裏腹に《平和の少女像》に対しては(対日本に限定された意味での)慰安婦問題、ひいては反日運動の象徴的存在との解釈が広まっているというのが実情です。
このため慰安婦『平和の少女像』、日本公共美術館で初めての展示 (京郷新聞 2019/07/31)では「少女像、反日の象徴でなく実在を見てほしい」との思いが綴られています。
実はこうした事柄の大部分を、私は「閉ざされた芸術展」で初めて知りました。
次ページ以降ではそのこと、および作者の意図と世間一般の解釈との著しい乖離が意味することについて考察を進める予定です。
追伸) その後《平和の少女像》を制作したキム夫妻は、自国の軍隊が引き起こした戦争犯罪をテーマとした作品も制作していたことを知りました。
「ベトナム・ピエタ」と呼ばれる、ベトナム戦争での韓国軍の民間人虐殺を取り上げた作品です。
少女は何を待つのか 彫刻家が込めた多様な意味 〈寄稿〉鄭栄桓・明治学院大教授|東京新聞 TOKYO Web
この事実からも、キム夫妻が批判を向けているのは身体的・精神的な暴力そのものであり、従軍慰安婦という日本の戦争犯罪をモチーフとした作品作りは、その姿勢の1つに過ぎないことが分かります。