ベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』における〈いまーここ〉的性質が意味すること

今、来週出席する「芸術史ラボ – アーティストとともに編み直す社会と芸術の歴史」の課題図書に指定されたベンヤミンの『複製技術時代の芸術作品』を再読しています。
(森美術館で開催中の「カタストロフと美術のちから展」の鑑賞も事前課題のため、金曜日に観に行く予定です)

最初はオリジナル作品が有する〈いまーここ〉的性質を理解できなかった

改めて『複製技術時代の芸術作品』を読んでみると、最初に読んだ時はあまり腑に落ちなかった部分が理解できるようになった箇所もありました。
その1つが〈いまーここ〉的性質です。

最初に読んだ時には、オリジナルの芸術作品のみが有するとされる〈いまーここ〉的性質の意味を理解できませんでした。

なぜなら「それが存在する場所に、一回的に在る」ものとして説明されるこの性質ですが、例えば絵画作品で考えてみると、いくらでも移動可能であるため、簡単にその性質が失われてしまいます。1点物の作品であるにもかかわらずです。

〈いまーここ〉的性質は、中世までの常識的な形態であったサイトスペシフィックな芸術作品についての概念なのでは

しかし改めて『複製技術時代の芸術作品』を読みながら思ったことは、その後のページで礼拝価値展示価値とが対比されていることから察するに、ここでの芸術作品とは美術館やギャラリーなどで展示される作品ではなく、中世までは常識的な形態であったサイトスペシフィックな芸術作品についてのものなのではないかということです。

中世までは宗教芸術にせよ彫刻や肖像画にせよ、芸術作品の大多数は今日のデザインのように依頼に基づき制作されたものであり、またその制作物は特定の用途のために発注されたものであったため、もっぱらその用途のために使用され、したがって展示や売買、コレクションなどとは無縁の存在でした。

ですから〈いまーここ〉的性質を有するとされる芸術作品とは、画商やギャラリーなどがまだ存在しない中世の時代までの、したがって展示とは無縁だった頃の芸術作品のことを念頭に置くとイメージしやすいのではないかと考えられます。

紹介・引用文献

『ベンヤミン・コレクション〈1〉近代の意味 (ちくま学芸文庫)』、筑摩書房、1995年

ただそれでも『複製技術時代の芸術作品』における〈いまーここ〉的性質は、私には分かりづらい概念でした。
次のページではその点について触れます。

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