「Diversity vol.2」の枠内で行われたTakaaki Kumagai氏キュレーション「TERRESTRES:ラテンアメリカ・コンテンポラリーアートへの接点」の感想記事その2。
アルフレド・ヒル氏に続いて紹介するのは、アンドレス=フェリペ・キンテロ氏の写真作品です。
アンドレス=フェリペ・キンテロ氏の写真作品《ボゴタのノマド》の概要
こちらがキンテロ氏の写真作品《ボゴタのノマド》(Andres Felipe Quintero “Nomadas en Bogota”)です(クリックで拡大)。
写真に写っている人物はキンテロ氏本人で、彼が背負っているオレンジ色の木製の物体は、自作の折り畳み家屋、つまり移動式の家です。
同作品は、こうしたセルフポートレートの写真を撮影するだけでなく、この格好でボゴタ市内各所を移動するパフォーマンス自体も作品の構成要素となっています。
ノマドは自由さだけでなく、時にはむしろ不自由さの象徴となる
ノマド(nomad)という言葉は英語で遊牧民のことを指し、日本ではノマドワーキング、ノマドワーカーなどと称して、自由な働き方の象徴として使われている言葉です。
私自身も以前に仕事のウェブサイトに「居場所は複数あった方が楽~精神のノマドのすすめ」という記事を書きましたように、やはりポジティブな意味合いでこの言葉を捉えています。
しかし前述のキンテロ氏の作品《ボゴタのノマド》からは、沢山の荷物を持って移動するホームレスの人々のことが連想されたのではないでしょうか。
ドラマや映画では、こうした人々が公園や河川敷などで暮らしてる光景が登場するため、それらがホームレスの人々の住処との印象があるかもしれませんが、それは恐らく一昔前の話と考えられます。
少なくても東京の都心部では、上述の場所のみならず、雨風を凌げる通路などからも不法占拠や迷惑防止条例違反などの理由で退去させられ、支援者の用意する簡易宿泊所などを除けば、どこにも居場所がないというのが実情と聞きます。
このため警察の介入を逃れるために、多くの人々がほぼ一日中歩き回らねばならない状況になっているとも聞きます。
ですから、ここでのノマドは自由さの象徴などではなく、むしろ常に移動を強いられる不自由さの象徴と言えます。
以上のようにキンテロ氏の作品《ボゴタのノマド》は、同市のGNPに計上されない類の商いで日銭を稼ぐ人々が暮らす貧困地域の実情を表象すると共に、私にとってはノマドという言葉の意味を相対化する作用をもたらすものともなりました。
参考文献
「TERRESTRES:ラテンアメリカ・コンテンポラリーアートへの接点」展示カタログ