先週、久しぶりのギャラリー当番の際に、向井哲さんのグループ展「風の振る舞い」を拝見しました。
展示作家は向井さんと、元メンバーの民佐穂さん、そして外部の方ですが何度かART TRACE GALLERYで展示されたことのある上田和彦さんの御三方です。
ちなみにこの日は、夕方から上田さんが在廊されていました。
なお、いつもでしたら各展示作家の作品の感想から始めるところですが、今回は会期がまだ始まったばかりなのに加えて、入り口付近に設置されたステートメントが美しく、かつその内容が非常に示唆に富んだものだったため、今回は特別にこのステートメントから連想された事柄から始めることに致します。
「風の振る舞い」のステートメント
こちらが「風の振る舞い」のステートメントが設置された壁面です。
無意識に中世の写本のようなレイアウトで撮影してしまいましたが、それも今思えば、ある種シンクロニシティのような力が働いていたのかもしれません。
ステートメントは次の一文から始まります。
風は吹くだけのこと。香り、塵、菌類等の情報を運び、葉や髪に触れたときには過ぎ去ってしまう。森林を夜通しゆらす威嚇的な力を示す一方で、翌朝、樹木の隙間から流れる微風は前触れもなく私たちを落ちつかせる。
後半部分からは、旧約聖書のヤハウェと新約聖書のキリストの違いに例えられるような、恵みをもたらすと同時に、すべてを破壊尽くす恐ろしい側面を併せ持つ存在を連想させますが、文の冒頭にあるように「風は吹くだけのこと」であり、したがってこれらの連想は人間の受け止め方、つまり解釈に過ぎないということなのでしょう。
長期的な風化により都市が破壊され、粉々に砕かれたとしても、地上の風は無時間的な静止状態に逆らい、物質同士の繋がりを賦活しうる地球の能動性の力を私たちに意識させる。
続くこちらの文章からは、アボリジニーやネイティブ・アメリカンの人々の間に伝わるドリーミングという思想を連想しました。
ドリーミングとは夢見と訳されるアニミズムのような思想で、例えば都市が徹底的に破壊されたとしても「都市のドリーミング」までもが破壊されてしまうことは決してないと考えられています。
この思想なども、物事によって価値のあるなしを規定し、その価値あるものが失われるときに限り嘆き悲しむ、現代人の価値観の偏りを相対化するものと言えるのではないでしょうか。
制作の基底面を地表と仮定するならば、風によってもたらされる様々な位相のぶつかり合いは、常に固有な条件を私たちの目前に浮かび上がらせる。
そして最後は自らのテリトリーへと引き寄せ締めくくる。実に無駄のない、見事な構成と感じました。
次のページには各展示作家の作品の感想を掲載しています。
なおアーティスト・トークとレセプションは、台風の影響で当初の予定の10月10日から17日(土)の18時スタートへと変更になったそうです。
私も都合がつけば聞きにいく予定です。
ART TRACE GALLERY「風の振る舞い」公式ページ
「ドリーミング」参考文献
ロバート・モス著『コンシャス・ドリーミング―アボリジニやネイティブ・アメリカンのシャーマンたちから学んだ夢見の技法』、ヴォイス、2002年
アーノルド・ミンデル著『24時間の明晰夢―夢見と覚醒の心理学』、春秋社、2006年