今回の記事はオススメ本の紹介です。
『身体はどのように変わってきたか〔16世紀から現代まで〕』が出版された経緯
今『風景と人間』ですっかりファンになってしまったアラン・コルバンの『身体はどのように変わってきたか〔16世紀から現代まで〕』を読んでいます。
同書はこれ自体独立した内容のものではなく、それ以前に翻訳が出版された『身体の歴史』の入門的な解説書の体裁をとっています。
また翻訳ではなく日本オリジナルの著作物です。
『身体の歴史』はフランスを中心としたヨーロッパにおける16世紀以降の身体の歴史を包括的に扱った書物ですが、この本を読みこなすためにはヨーロッパの文化のみならずキリスト教の教義についても精通していなければならず、それは異国の日本人には非常に困難と翻訳者が判断したため、その後アラン・コルバンの協力を得て『身体はどのように変わってきたか』の出版が企画されることになったようです。
ここで理解のためにキリスト教の教義についての知識も必要とされるのは、例えば受肉という概念に象徴されているように、キリスト教の教義には身体を象徴として利用する概念が非常に多いためです。
身体に関する非常に広範囲の考察の概略を分かり易く記述
『身体の歴史』は前述のようにヨーロッパにおける16世紀以降の身体の歴史を包括的に扱ったものであるため、その考察範囲は非常に多岐にわたり、具体的には「医学を含む科学」「セクシュアリティー」「芸術」「矯正」「訓練」「社会性」などの観点から考察がなされています。
そして『身体はどのように変わってきたか〔16世紀から現代まで〕』では、それらの観点からの説明の概略が『風景と人間』と同じレベルの分かり易さで書かれています。
アート業界で説明なしに安易に使われている「身体性」という言葉
ですからこの本は身体やその歴史に関心があるすべての方にお勧めですが、このブログでは写真をはじめとしたアートに関するトピックを扱っていますので、それに即した話をします。
アート業界では、しばしば身体性という言葉が使われますが、この言葉はWikiでは「身体が持つ性質」と説明されています。
しかし同時に「分野ごとに様々な定義がある」とも書かれています。
ところがその分野ごとの定義は未掲載のままです。
また他のネット上の辞書にも、Wiki以上に詳しい情報は見当たりません。
そのため身体性について検索すると、各々のが思い浮かべる、かつ定義を明確にしないまま記述された身体性に関する個人のブログが検索順位の上位に並ぶことになります。
これが身体性という言葉を取り巻く実情であり、専門用語とするにはあまりに未成熟です。
「◯◯性」の多用は知ったかぶりに繋がりかねない
しかしその未成熟な言葉が広く使われ、かつそれでも意思疎通ができているのだとしたら、それは本当のところは「できているつもり」になっているだけなのではないかと私は考えています。
なぜなら『身体の歴史』や『身体はどのように変わってきたか』でも考察されているように、その切り口は膨大であるため、たとえ文脈からある程度判断可能であるとしても、身体性の一言で説明されただけで思いを共有できるほど身体という概念は単純明解ではないと考えられるためです。
ですから自分がどのような意味でその身体性という言葉を用いているのかをハッキリと自覚できるようになるためにも、『身体の歴史』やその入門書に当たる『身体はどのように変わってきたか〔16世紀から現代まで〕』は役立つはずです。
そうでなければ、この身体性というある意味便利な言葉の多用は、自分がそれについて多くを知っているかのような錯覚をもたらし、その実中身は空っぽ、つまり知ったかぶりということにもなり兼ねません。
これは同じく多用される「関係性」についても、まったく同様です。
紹介文献
アラン・コルバン著『身体はどのように変わってきたか〔16世紀から現代まで〕』、藤原書店、2014年
『身体の歴史』全3巻、藤原書店、2010年